バンコクで出会ったRRコーニッシュ
それまでの一品製作的コーチワークから脱し、自社製ボディーで量産されるシルバードーンが1949年に誕生して、次ぎの量産モデルは55年登場のシルバークラウド、そして次のシルバーシャドーの登場が1965年だった。 シルバーシャ […]
続きを読むそれまでの一品製作的コーチワークから脱し、自社製ボディーで量産されるシルバードーンが1949年に誕生して、次ぎの量産モデルは55年登場のシルバークラウド、そして次のシルバーシャドーの登場が1965年だった。 シルバーシャ […]
続きを読む私のような職業では、ロールスロイス/RRは困った存在である。 手元に多くの資料はあるが、写真や絵があっても年式や仕様が判らないのだ。原因は、WWⅡ以前の高級車の多くが、シャシーだけを売り、買ったオーナーは、お気に入りのボ […]
続きを読む2011年のバンコク自動車ショーはクラシックカーの大漁で、ベンツ190SL、キャデラック、クライスラー300、コルベットに続き、第五弾はBMW502の登場である。 昭和26年/1951年、WWⅡで敗戦国となった日本とドイ […]
続きを読むバンコクのクラシックカー第四弾は、シボレー・コルベット・スティングレイ。この車はコルベット二代目で、1962年から67年迄に生産された車だが、姿が海で泳ぐ頴娃/エイに似ていることから、スティングレイのサブネームが付いたの […]
続きを読む2011年からバンコクの国際自動車ショーは、バンコク市内のバイテック会場から、郊外のインパクト会場に移った。日本で晴海から幕張に移ったようなもの。宿泊が会場に隣接するノボテルは便利だが、疲れを癒すマッサージにはタクシーが […]
続きを読む日本は既に勢いを失い、世界の自動車産業の視線は中国だが、相変わらず集客数ではバンコクが最大のショーで、そこでキャデラック1941年型コンバーティブルに出会った。 日本軍の真珠湾攻撃が12月だから、その直前に生まれた車だろ […]
続きを読む毎年3月末になればバンコク自動車ショーに出かける。2011年に出会ったのがベンツ190SL。1954年~63年間で2万6681台を生産し大半が米国に渡ったが、バンコクにも。 190SLは、重要輸出先である米国意識で開発、 […]
続きを読む古今東西、映画やTVにスパイが隠し持つ超小型カメラで機密文章や図面を撮る場面がある。名画{ローマの休日}で記者役グレゴリー・ペックが王女役オードリー・ヘップバーンを盗み撮りしたのは日本製ライター型カメラだった。 この種の […]
続きを読む最後には神風が吹いて大勝利と、子供心に疑わなかったWWⅡに日本が降参したのが昭和20年/1945年8月15日。戦時体制から元に戻った戦勝国米国自動車産業の翌46年の生産量は300万台。一方敗戦国日本の生産量は老舗日産の2 […]
続きを読むハナ肇のクレージーキャッツが生んだ流行語に{アッと驚く為五郎}というのがあったが、1950年/昭和25年に誕生した英国フォードのコンサルは、まさにタメゴローだった。 大昔自動車のタイヤはサイクルフェンダーがカバーしていた […]
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