足が弱いフォード・コンサル

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ハナ肇のクレージーキャッツが生んだ流行語に{アッと驚く為五郎}というのがあったが、1950年/昭和25年に誕生した英国フォードのコンサルは、まさにタメゴローだった。

大昔自動車のタイヤはサイクルフェンダーがカバーしていたが、私が子供の頃はボディーと一体化して{泥よけ}と呼んでいた。
その泥除けが、コンサルから消えていたから驚いたのだ。

泥除けが消えた姿をフラッシュサイドと呼ぶ。マニアなら49年米国フォードで知ってはいたが、WWⅡ後の英車が戦前の姿ばかりだっただけに誰もが注目したのである。
もっとも英国フォードは米国フォードの100%子会社だから、最新スタイルの移籍採用が早かったのもうなずけるが。

そもそも英国フォードは、T型のノックダウン目的で1911年に誕生した。日本では明治44年だが、銀座八丁目に誕生した日本初の喫茶店カフェプランタンに五十銭会員制度というのがあり、永井荷風・谷崎潤一郎・北原白秋・黒田清輝などが壁に落書きしたのが評判になり繁盛していたとオヤジから聞いたことがある。
更に、プランタンより五ヶ月遅れで四丁目尾張町交差点に誕生したカフェライオンが現在のライオンビヤホール。現在はB1Fだが一階に日産ギャラリーがある場所とビルである。

WWⅡ後の英国フォードは早くも1945年に生産再開。もちろん戦前型での再開だったが、戦後開発車を50年に発売する。
新型フォードは先ず雑紙のグラビアで感心。1年もすると進駐軍兵士家族の自家用車として日本の街を走り出した。
「泥除けがないと何と格好いいんだろう」と感心したものである。

コンサル誕生は50年だが、同時に兄貴分のゼファーSIXも登場…一回り大柄な車体はラジェーターグリルで差別化され、コンサルの直四・1508cc・47馬力に対し、直六・2662cc・68馬力で、両エンジン共に戦前のサイドバルブからOHVに進化していた。

話変わって戦後日本のタクシーは、戦争を生き延びた中古のシボレーやフォードが多かったが、それらの寿命が尽きた頃外車が輸入されると、ハイタク業者が一斉に跳びついた。

その中にコンサルもあり、タクシーでの活躍が始まり、斬新姿に客は喜んだが直ぐに馬脚を現した。量産世界初のマクファーソンストラットの前輪懸架上部に、軒並みヒビ割れが発生したのだ。

当時世界一舗装率が高い英国生まれの足に、世界に名だたる悪路の日本のタクシーで酷使されたのでは当然の結果だった。
で、現役タクシーは勿論{タク上げ}と呼んだ中古車の前輪ストラット上部は、溶接された丸い鉄板で補強された。

1949年誕生の米国フォード1949年型:斬新なフラッシュサイドボディーで世界の注目を浴びた。乗用車には定番の泥除けと両サイドのステップが世界の乗用車から消える切っ掛けだった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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