ドイツ生まれのスパイカメラ・ミノックス

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古今東西、映画やTVにスパイが隠し持つ超小型カメラで機密文章や図面を撮る場面がある。名画{ローマの休日}で記者役グレゴリー・ペックが王女役オードリー・ヘップバーンを盗み撮りしたのは日本製ライター型カメラだった。
この種のカメラには玩具から精巧なものまで種々あるが、アナログ時代に最高峰とされたのが、ミノックスだった。

外国映画輸入の{映配}の野中重雄宣伝部長は慶応の先輩だった。1960年頃「一晩中燃えるライターと超小型写真機が何だか判らない」と呼ばれて試写室で見たのは{死刑台のエレベーター}1957年のフランス映画だった…「あれはダンヒルと呼ぶ最新型ガスライター・カメラはミノックス・どちらも実在する高級品」で一件落着。

「ミノックスは欲しいが高価なので」と云ったら、数ヶ月後「ミノックス買ってきた」とポンと渡された。映画買い付けが終わり、ハンブルグ空港の免税店で$100ドル=当時の換算で3万6000円…大卒初任給1万円の頃だから大金だが、輸入品が8万円強の頃だから嬉しかった。

それは露出計連動の最新型ミノックスBでアグファ専用フィルム50枚撮り。写真のフラッシュガンは後日買い足したもの。

引伸ばして撮影可能状態のミノックスにフラッシュガン装着した姿+取説/フラッシュバルブも小型/速度ダイヤル前下の凸凹部左右スライドで露出半減フィルターの出し入/絞り機構なし。

スパイカメラらしく操作は簡単。先ず本体を引っ張るとファインダーとレンズ(黄色&露出半減フィルター内蔵)が露出し、同時にフィルム巻き上げとシャターチャージ完了。本体上部に電気露出計・T/B/0.5秒~1/1000秒シャター速度目盛・フィルム枚数・20cm~∞距離計・外側に鋲が見えない、見るからに精巧な仕上げである。
全長1mのチェーンは20cm毎の玉で距離が判り、被写体に合わせてピンと張れば距離測定と手ブレ防止という良きアイディア。

ミノックスは1938年、バルト海沿岸の小国ラトビアで誕生。発熱するエジソンの電球に対して熱を出さない蛍光灯がGEから発売された年でもある。
誕生した頃は鉄製ボディーで重かったが、卓越した性能と訓練なしで写る実用性で、早速スパイカメラの必携品となった。

外国で優れものが生まれると慌てる日本らしく、陸軍の依頼でキヤノンが少量生産したと聞くが、悪名高い中野学校御用達ではなかったのだろうか。

ミノックスは45年WWⅡで敗戦の西ドイツで生産再開するが、ボディーはアルミで軽量化された。その初期型をA型と呼び、58年に露出計内蔵で全長8cmから9.4cmに伸びたのをB型と呼ぶ。
民需も増えたが、戦後のスパイ合戦でも活躍を続け、その後もミノックスは好評で、68年には電子シャターのC型に。

ミノックスB型:カメラ本体を引伸ばす前の状態とアグファ50枚撮りミノックス専用フィルム/チェーンについた玉で距離測定/前面右端は連動露出計セレン受光部。

「ミノックスの前にミノックス無し・ミノックスの後にミノックス無し」というのが、私の印象である。そして最新のフィルムや付属品がA型でも使えるというのは驚きである。

昔{ミノ虫クラブ}と呼ぶミノックスファンの同好会があったが、今でもあるのだろうか。今でも強烈なファンによるこの種の会が世界中に存続しているが、日本では{日本ミノックスクラブ}というのが2019年で創立50周年を迎えたそうだ。

野中重雄先輩と筆者/昭和35年頃/後方は修理に来た木下産商役員の1956年型オールズモビル

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

 

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