戦前戦後の車の変遷9
長谷川龍雄:トヨタの近代的乗用車造りの基礎を築いた人物。戦争末期の立川飛行機で、1万メートル上空のB29を挟撃する高高度戦闘機を開発したが、残念ながら試作機完成と終戦が重なった。 トヨタに来て「現場合わせで […]
続きを読む長谷川龍雄:トヨタの近代的乗用車造りの基礎を築いた人物。戦争末期の立川飛行機で、1万メートル上空のB29を挟撃する高高度戦闘機を開発したが、残念ながら試作機完成と終戦が重なった。 トヨタに来て「現場合わせで […]
続きを読む敗戦後の日本再建で{追いつけ追い越せ}による技術進歩、自動車の変遷については既に多くの紹介があるが、それを支えた人達に言及されることは少ない。で、本稿では、元飛行機技術者達に触れてみたいと思う。が、私が知る範囲の人達だか […]
続きを読む何処の国でも高度な技術がなければ航空機産業は成り立たない。 そして其処にはトップクラスの頭脳集団が居る。彼等は、自動車などは飛行機やロケットより劣ると上から目線で見ているようだ…で、彼等が自動車産業に転身することは先ず無 […]
続きを読む敗戦後禁止されていた乗用車生産は1947年、ダットサン、たま電気自動車、トヨペットSAで再スタートを切ったわけだが、翌48年になると、老舗の高速機関工業からオオタ号が復活する。 また51年には、三菱がカイザーフレイザー社 […]
続きを読む太平洋戦争には負けたが、戦後50年間の日本自動車産業の発展には目を見張るものがあるのは御承知の通りだ。 政治家を筆頭に役人や経営者の「追いつけ追い越せ」を旗印に、遮二無二に働いた勤労者、親方に忠誠を誓う下請け集団等々、誰 […]
続きを読む日本陸軍の先見の明、ジープより先に完成した{くろがね四起}に味を占めた陸軍は、次に軽自動四輪起動車を企画したのは、日本の国力、自動車生産能力に不安があったのかもしれない。 1938年/昭和13年、日本内燃機、陸王内燃機、 […]
続きを読むジープと云えば、四輪駆動車/4WDの元祖と思われているが、そうではない。ジープは4WDの代名詞的存在ではあるが、実は米国陸軍が慌てて作った兵器だったのだ。 1939年/昭和14年、ポーランドを急襲したドイツ軍機甲師団の電 […]
続きを読む令和、平成、昭和と遡り、大正を知る人は少なくなった。その大正は1912年から始まった。で、大正時代に入ると、続々と国産自動車が誕生するが、量産販売に成功する車は少なかった。 ちなみに年代順に、車名/製作所(者)を並べてみ […]
続きを読む「日本で初めて走った自動車は?」「日本で初めて作られた自動車は?」は、仕事柄よく問われる質問である。これには諸説あるが、現存する写真で最も古いのはフランス人画家ビゴーが持ち込み、1898年に築地で撮ったという、パナール・ […]
続きを読む「人の噂も75日」と云うが、日本人は忘れる事が特技のようだ。もっとも幕府が倒れた維新後、太平洋戦争前の良き習慣を忘れ「追いつけ追い越せ」と大発展を遂げたのだから、古い習慣を捨てるのは良いことなのかもしれない…時には官民癒 […]
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