戦前戦後の車の変遷1

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「日本で初めて走った自動車は?」「日本で初めて作られた自動車は?」は、仕事柄よく問われる質問である。これには諸説あるが、現存する写真で最も古いのはフランス人画家ビゴーが持ち込み、1898年に築地で撮ったという、パナール・ルバッソールだが、これが日本で初めて走った自動車のようだ。

場所は築地1898年撮影と伝えられるパナール・ルバッソールと仏人ビゴー:ビゴーは日本美術研究で来日の画家・陸軍士官学校で教鞭を執り風刺画集で知られ日本人と結婚。

それまでは皇太子明宮嘉仁親王殿下(大正天皇)の御成婚を祝して、サンフランシスコ在留日本人会が$5311拠金して、陸奥広吉サンフランシスコ領事に、献上記念品の相談をした。
陸奥は、発明されたばかりの自動車なら日本にはないだろうから良かろう、ということで自動車献上が決まったとされている。

その車は電気自動車ウッズ(Woods Motor Vehicle Co.Chicago/1899-1919)だが、運転手が運転練習中に事故を起こし、危ないからと殿下が乗ることはなかったと伝えられている。
この時、献上車解説に記された表記Automobileを、宮内庁の役人が翻訳して「自動車」なる言葉が誕生した。
が、日本初は、1899年に三輪型プログレス電気自動車が輸入されているので、ウッズは、四輪自動車ではということになる。

さて横浜に蒸気自動車ロコモビルが1900年/明治33年に輸入され、早速オーナーになったのは、男爵芋/馬鈴薯で知られる川田龍吉男爵で、この車はレストアされ現存している…ということで、日本の自動車元年は20世紀と共に始まったと云って良かろう。

トヨタ博物館の蒸気自動車ロコモビル1899年型:同型が川田男爵ゆかりの北海道の納屋から見つかりレストアされている。現存する日本最古の自家用車ということになる。

そうなると最初の国産車というのが気になるところだが、1904年に山羽根虎夫が造った蒸気自動車が第一号で、ガソリン内燃機では有栖川宮殿下の後援で1907年に内山駒吉が完成したタクリー号が第一号とされている。ちなみにガタクリ走るからタクリー号と名付けられた車は17台生産された。

長年、日本初は皇太子殿下のウッズとされてきたのは、WWⅡの日本敗戦までの軍部主導の日本は、皇室最優先だから、他の説を唱えるのが難しかったのだろうと推測される。

日本初内燃機型国産車タクリー号:有栖川宮親王王殿下の後援で1907年に内山駒吉が完成した。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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