片山豊よもやま話-10

麻生家とは縁戚関係があり、日産コンツェルン総帥鮎川義介は、幼少期から知る豊少年にカリスマ性あるを認めたのだろう、慶応大学を卒業すると日産自動車に入社させたことを以前に書いた。 WWⅡ前の企業には宣伝広告などという意識はな […]

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片山豊よもやま話-8

さて、オトッツァンとは切っても切れない縁の佐藤健司、通称ケン坊との出会いがいつかは聞いてないが「慶応の文化祭にダットサンを貸せと高校生のケン坊が来たんだよ」といっていた。 また進駐軍の将校や裕福シビリアン達が、自動車クラ […]

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片山豊よもやま話-7

片山豊ことオトッツァンは「自動車屋は儲からなくてもいい、スポーツカーが必要」という。そのスポーツカーとは、高性能不要、贅沢不要、走る楽しさが味わえれば良いという。 前回紹介の第1回全日本自動車ショー出展のダットサン・スポ […]

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片山豊よもやま話-6

前回紹介のフライングフェザーは、日産を愛するがゆえの社外脱線作業だったが、オトッツァンのアイディアは更に発展、それは日本自動車産業全体の発展につながった。 「各社水面下でいがみ合っていてもしようがない、足並み揃えて前進し […]

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片山豊よもやま話-5

日産に復職した片山豊=オトッツァンは、生産再開したダットサンの戦前型復刻型の時代遅れの姿が気にくわなかった。で、発動機再生工場で働く佐藤章蔵に目をとめ、戦前日産在籍の富谷龍一を呼び、カーデザインとクレイモデル製作技術を学 […]

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