【車屋四六】マイナーと云っても傑作だ
東北乗用車道那須インター近くの自動車博物館で、モーリスマイナー54年型に出会った。 54年の日本では、女性の体形基準が変わった。それまでの胴長短足ウリザネ顔という基準が、八頭身に変わったのである。 発端は、ミスユニバース […]
続きを読む東北乗用車道那須インター近くの自動車博物館で、モーリスマイナー54年型に出会った。 54年の日本では、女性の体形基準が変わった。それまでの胴長短足ウリザネ顔という基準が、八頭身に変わったのである。 発端は、ミスユニバース […]
続きを読む近頃ダイムラーベンツ社の高級乗用車と云えばマイバッハ、そして次がメルセデスだ。が、第二次世界大戦以前、マイバッハは違う会社の高級車だった。 マイバッハは、ヒトラー総統が好むメルセデスベンツに対抗する、ライバル高級車だった […]
続きを読むドイツの自動車博物館で見つけた真っ赤なオートバイは、1928年製オペル・モトグループSS。スマートな姿もそのはず、当時一流デザイナーのエルンスト・ノイマンの作品なのである。 単気筒498cc・16馬力(後に22馬力を追加 […]
続きを読むこの冊子の表紙は1997年5月、手元に届いたグッドイヤーニュースの表紙。グッドイヤーは、長いこと世界一のタイヤメーカーだった。その会社の協賛で映画グランプリは製作された。 映画は1966年に撮影されて、日本での封切りはテ […]
続きを読むアメリカ自動車殿堂入りした片山さんの、自動車への情熱は素晴らしいもので、あちらこちらで活躍の足跡を残している。 たとえば「そろそろ日本にも自動車ショーがあっても良い頃だ」と推進したのが片山さん。そのせいかどうかは知らない […]
続きを読むミスター、ダットサンと呼びたい人が居る。 アメリカではミスターKでとうり、またの名をファーザー・オブ・Zカー(Zの父)と呼ぶように、フェアレディーZを、アメリカで100万台も売った偉大な功績の持ち主である。 その名は片山 […]
続きを読む写真のロードスターは、フィアット1500Sトランスフルマビレと呼ぶ。 オーナーは宇田川武良。NDC東京(日本ダットサンクラブ東京)のメンバーで、モータースポーツが盛んになるとSCCN(日産スポーツカークラブ)の創立メンバ […]
続きを読む高度成長期「いつかはクラウン」という願望言葉があったが、バイクの世界ならハーレイダビッドソンだろう。そのハーレイの日本初上陸は1917年/大正6年、大倉商事が輸入した。 当時アメリカで、ハーレイとタメを張っていた双璧がイ […]
続きを読む「スエーデン貴族の城の自動車博物館で」と、パイロット仲間の横溝政明、通称/横さんが届けてくれたのが今度の写真。代々の殿様愛用の車だそうで、飛行機乗りの軍人も居たようだ。 飛行機はスエーデン空軍の爆撃機で、まだ自動車屋にな […]
続きを読むボロボロ爆撃機残骸を何故?などと云っては困る。靖国神社に違和感がない日本人なら、手を合わせるべき残骸なのだ。 第362話で、B25の東京空襲を書いたが、その奇襲に危機感を抱いた山本連合艦隊司令長官は、アリュウーシャンから […]
続きを読む