【車屋四六】オペルのオートバイ

コラム・特集 車屋四六

ドイツの自動車博物館で見つけた真っ赤なオートバイは、1928年製オペル・モトグループSS。スマートな姿もそのはず、当時一流デザイナーのエルンスト・ノイマンの作品なのである。

単気筒498cc・16馬力(後に22馬力を追加)。フレームはパイプではなく軽量化目的でプレスというのが特徴。

当時小型車生産ではヨーロッパ最大のオペルが、二輪を発売したのは1928年だが、折からの世界恐慌の風当たりで、オートバイ事業はさっぱり。で、1929年で生産から撤退したので、写真のモトグループSSは貴重品なのである。

「オペルでバイク?」いまではそんな時代になってしまったが、オペルはバイクでも一流だったことがある。また歴史をさかのぼれば、自転車で世界最大メーカーだったし、またミシンでも世界最大メーカーだったこともあるのだ。

アメリカ南北戦争のゲティスバーグの戦いで、北軍が大勝利の1869年にオペル社が産声を上げた。創業時はミシンで総生産台数は100万台を越え、1880年代には世界最大を誇り、全世界に輸出したのである。

また、ベンツ初の三輪ガソリン自動車が走った1886年に、オペルには原付自転車も登場している。一方自転車は1920年代に入ると、日産4000台という世界最大メーカーになっていた。

オペルの原付自転車

ちなみに1886年の日本は明治19年。東京電力の前身、東京電灯会社誕生、家庭で電気が買え使える時代が来た年である。

オペルが四輪自動車屋になるのは1902年のことだが、翌03年にオートバイ2馬力/700マルク、2.5馬力/800マルクを発売。

ユーザーのパワーアップ願望は今も昔も同じで、1907年には二気筒3.5馬力/600マルクを発売するが、何故か生産を中止する。

内山駒吉の日本初ガソリン乗用車タクリ-号誕生の年だった。

オペルは1914年頃から、将来原付自転車が必要になると開発を考えていたのが幸いし、後輪ハブに一気筒140cc1馬力の原付で戦線復帰したが、好評で第一次世界大戦後の再建に一役買うことになる。

アダム・オペルの5人の息子達:自転車競技での活躍ばかりでなくロケット車や自動車開発、経営にも活躍。それが認められてアメリカ自動車殿堂入りを果たした

オペルの自転車人気は、オペル5人兄弟の欧州で人気の自転車レースでの連戦連勝というPR効果が絶大だったことも見逃せない。

原付の原型開発開始の1914年は大正3年。上野の東京大博覧会登場、日本初の動く階段(エスカレータ)が大人気、そしてダットサンの先祖、脱兎号(ダット)四輪乗用車が登場した年でもある。

いずれにしても第一次世界大戦ドイツ敗戦の痛手からのオペル再建で、原付は屋台骨の一本になり、それが発展して、最終作品がモトグループSSだったのである。

アダム・オペルの5人の息子達は、1998年に自動車製造に功績を残した人を顕彰する、アメリカ自動車殿堂入りをする。

その時同時に殿堂入りしたのが、アンドレ・シトロエン、飛行船で有名なツェッペリン伯爵、そして片山豊元アメリカ日産社長。自動車後進国日本からの殿堂入りは、誇らしい出来事だった。

片山さんは、日本からは未知の市場アメリカに乗り込み、ダットサンをブランドに仕立てることに成功して、フェアレディZだけで100万台も売りまくった人物である。