【車屋四六】ベンツとタメを張る高級車

コラム・特集 車屋四六

近頃ダイムラーベンツ社の高級乗用車と云えばマイバッハ、そして次がメルセデスだ。が、第二次世界大戦以前、マイバッハは違う会社の高級車だった。

マイバッハは、ヒトラー総統が好むメルセデスベンツに対抗する、ライバル高級車だったのだ。

世界一の自動車市場は長いことアメリカで、二十世紀末からは、メルセデスベンツとレクサスが最高とアメリカ人が云っていた。レクサスが出てくる前はBMWだったようだ。

ステイタスというなら、ロールスロイスだろうが、アメリカでも一部の金満家以外の高級車は前記2車で、20世紀中頃までは、キャデラックやリンカーンがステイタスだった。

が、1998年に、ロールスロイスがBMWに、ベントレーがVWの手に渡ると、将来の高級車市場を先読みしたのだろう、メルセデスより上位のマイバッハを復活させたのである。

マイバッハは、1941年まで現役の高級車だった。名前の由来は発動機開発では天才と云われたWマイバッハから。

ダイムラーの助手として世界初内燃機関開発に一役買うが、ダイムラーの死後、ツェッペリン伯爵の誘いで、飛行船用発動機開発でマイバッハ社を立ち上げる。

その後高級車造りに手を出すのが21年=大正10年だから、日本初の本格的乗用車ウーズレイが石川島造船で完成した年である。

石川島のウーズレイが完成。直後の試運転で電柱に衝突。日本初の酒酔い運転だった。完成して祝杯を挙げた時、運転手も一緒だったのである。

さて1921年、マイバッハ初作品W3型は、堂々の車体に、リムジンとフェートンの二機種。

エンジンはボア99㎜、ストローク170㎜と超ロングストロークで7547cc70馬力。20年代後半に直六OHVで6995cc120馬力に。

写真はラスベガスのインペリアル自動車博物館で出会った38年型W38で、4048ccは当時最先端のOHCで140馬力を得て時速140kmで走れた。W38は戦争で1941年に生産終了。高級車マイバッハ生涯の終わりだった。

W38誕生の38年=昭和13年。敵艦迄の距離測定の測距儀や双眼鏡の国産化で、軍御用達日本光学=現ニコンが創業。ブリキ使用禁止で容器を紙製にした森永製菓、日本にも戦争の足音がひたひたと迫り来る頃だった。

さてマイバッハ社だが、第一次世界大戦でのドイツ敗戦のあおりで経営不振、1924年ベンツと合併。

で、ブランドを所有するダイムラーベンツは、ロールスロイスに対抗する最上位機種として、マイバッハを復活させたのである。