【車屋四六の good days and good cars】日産ジープの源流

コラム・特集 車屋四六

ジープは、クロスカントリー型自動車の、代名詞と言えっていいだろう。もっとも、ジープの手本はドイツ軍だが、WWⅡ中の圧倒的生産量で、ジープが元祖と言っていいだろう。

吉田茂首相の時に、警察予備隊が誕生した…後の自衛隊だが、憲法で軍隊禁止だから、警察予備隊と呼んだが、軍隊の復活だった。

軍隊となれば、欲しいのがWWⅡで活躍したジープだが、日本にはそれがない…で、国産で、となって、日産とトヨタ、三菱が名乗りを上げた。

そもそも警察予備隊が生まれたのは、マッカーサー元帥のせいだった…日本軍を解体し、もう戦争ができないようにした連合国軍最高司令部=GHQの誘導で、再軍備不能の日本の憲法ができたが、共産圏の拡大を心配した米国は、しまったと気がついた。

1950年=昭和25年、マッカーサー元帥が年頭所感で「日本の自衛権を否定せず」…遠回しだが、軍隊を持ってもいいよ、ということだった。

「外国を攻めてはいけないが、攻められたら守れ」ということだが、憲法上、軍隊とは呼べない。そこで時の首相・吉田茂が知恵を絞って生まれたのが、警察予備隊だったのだ。

吉田は経費節減「米軍からジープの貸与を受ければ」と気軽だったようだが、6月に朝鮮で戦争が始まると、米軍は貸すどころではなくなった。

で、7月に予備隊発足で、ジープが必要になったのだ…で、日産もトヨタも、国産ジープを完成するが、トンビに油揚げをさらわれた…三菱が、ウィリス社と提携して、ジープを生産、で採用が決まったからだった。

で、日産が開発した、ジープ4W60型と、トヨタのジープBJは行き場を失った…トヨタはさておき、日産ジープ・3670cc・80馬力は、走行試験で、全ての試験で米軍ジープを上回り、富士山六合目まで登って、実力をアピールしたが、だめだった。

日産が開発したジープ4W60型

敗戦で日本中が貧乏のさなか、開発費を掛けたのに、どうしてくれる、というのが日産の実情だが、駄目だからとドブに捨てるわけにもいかず、民間用にと生きる道を選んだ。

が、ジープの名は、登録商標だから三菱いがいに使えない。ということで、パトロールの名が生まれた…パトロールは、後にサファリへと発展するのだが。

が、当時の日本には、本格的四駆クロスカントリー型の需要がなかった。が、地道に開拓を続け、また輸出に努力して、着々とユーザー増やしていったのである。 

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