【車屋四六】高品質高性能がパッカードの看板

コラム・特集 車屋四六

「車の真価は持ち主に聞け」有名なCFは、今は無きパッカードの台詞というように、何が何でも高品質が売りだった。

大衆車で成功後に高級車もという会社が多い中、1899年/明治32年創業パッカードの開発コンセプトは、初めから高級高性能だった。(トップ写真:パッカードDXエイトスポーツフェートン1932年型。Hヒューズに見いだされ1930年代のセックスシンボルで活躍のスター、26才で早逝したジーン・ハーローの愛車だった)

以前紹介したトヨタ博物館のルーズベルト大統領のV12気筒をはじめ、世界の王侯貴族、国家元首、金満家スター御用達というように、WWⅡ以前は世界的富豪だった天皇家も所有していた。

ちなみに、敗戦後、日比谷のGHQマッカーサー元帥訪問時の天皇御料車も戦前のパッカードだった。

さて、戦争が始まると、自動車会社が兵器生産に転向するのは世界共通。米国も、ジープやトラック、戦車、大砲、機関銃、爆弾、飛行機と広範囲に展開する。

特に持ち前の技術が発揮できる航空発動機は当然で、ロールスロイス、ベンツ、BMW、フィアット等々。米国ではGMやフォードは空冷、パッカードは液冷というように得意分野で活躍した。

パ社の航空発動機開発はWWⅠ以降で、最初の作品V型12気筒・40L・750馬力は、1932年登場の自動車用V12に影響を与えたようだ。が、航空用は27年頃米軍が空冷主体に傾いたことで、液冷得意のパ社は手を引いてしまった。

が、WWⅡ開戦で、軍用発動機生産再開。戦後スキューバダイビング仲間の米海軍将校が乗せてくれた魚雷艇のエンジンにも、パッカードの銘があった。

有名な米カーチスP-40戦闘機は、不評の空冷からアリソン液冷発動機で生き返り、パッカード1030馬力に換装、欧州戦線や支那空軍、南方戦線で活躍したが隼やゼロ戦の敵ではなかった。

有名カーチスP-40はパッカードエンジン:戦意高揚&自動車を作れない言い訳広告は、戦中各自動車会社から出された

大戦末期登場、傑作と評されたノースアメリカンP-51ムスタング戦闘機も、アリソン1200馬力からパッカード1430馬力に換装してから、無敵と呼ばれるようになった。

英国から製造権を獲得した米軍は、ロールスロイス並の高精度加工を求めて白羽の矢を立てたのがパッカード社で、誕生したのがパッカードマーリンV1650型。自慢の二段二速型スーパーチャージャーもパッカード製だった。

量産されて、英国のスピットファイヤー戦闘機、モスキート攻撃機、ランカスター爆撃機などに搭載され、またP-51ムスタングもメッサーシュミットやフォッケウルフ独戦闘機と戦った。

極東では硫黄島からB-29爆撃機の護衛で飛来、日本戦闘機を悩ませた。参照ポスターは戦中のパ社の広告{俺たちは御国のための兵器造り自動車は勝利の日まで待ってくれ}と。

WWⅡ中の傑作戦闘機と云われたP-51戦闘機/RAF博物館蔵:ゼロ戦の性能を上回るP-51は紫電改や疾風の好敵手だった
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