【車屋四六】宇田川さんチのフィアット

コラム・特集 車屋四六

写真のロードスターは、フィアット1500Sトランスフルマビレと呼ぶ。

オーナーは宇田川武良。NDC東京(日本ダットサンクラブ東京)のメンバーで、モータースポーツが盛んになるとSCCN(日産スポーツカークラブ)の創立メンバーになり、レースで活躍のあと、黒子役で縁の下の力持ちを励んだ友人でゴルフ仲間でもある。

写真は宇田川さんからの年賀状コピーだが、この車、第一回日本グランプリを、彼自身の操縦で走った由緒ある車である。

それが今でも、こんな美しさを保っているのだから嬉しいし、彼のカーマニアぶりも伺える。

ご存じだろうが、クラシックカーは大変な金食い虫なのだから。

島国育ちの日本人は外国語が苦手。で、イタリア語なんか喋ると舌を噛みそうになる。で、トランスフォルマビレとは、我々多少は馴れている英語ならコンバーチブルである。

もっとも、近頃では、トランスフォーマーなる英語がポピュラーになったから、関連想像できるのかもしれない。

第一回日本グランプリを快走中の宇田川さん。経年変化で色が悪いのは御容赦を

第二次世界大戦が終わり、日本初のフィルター付煙草ホープが登場した1957年に、フィアットからロードスターが登場して1100TVと名乗る。

その1100TVをベースに、ピニンファリナが美しく仕上げたのが写真のロードスターで、キューバ革命でバチスタ政権が倒れ、カストロ政権が誕生した1959年のことだった。

当時の日本は外貨不足で、外国車輸入が1955年から禁止の時代だった。暫くして、少し外貨の余裕が出来たのか、世界から各種多様な車を集めて、公開入札したことがある。

「おーいっフィアット落札」と宇田川さんからの電話が羨ましかった。同級生の父親はルノー4CVを96万円で落札していた。

宇田川さんのフィアットは62年型で、マリリンモンロー自殺の年。5月にケネディー大統領の誕生パーティーで♪ハッピバースデイMrプレジデント♪と唄い話題になった三ヶ月後の自殺だった。

宇田川さんからの別の年賀状:30年誕生のフィアット1750をオリジナル製作のザガートで92台復刻した中の貴重な1台。フィアットARスパイダー・ザガート1750

輸入されなかったが、1200cc55馬力・最高速度145km/hというのもあったが、宇田川さんのは高出力型のDOHCで90馬力・最高速度170km/hと俊足の持ち主だった。

ちなみに全長4030㎜、全幅1520㎜、車重960kg。前輪Wウイッシュボーン/後輪リーフとオーソドックスで、後期モデルでは四輪ディスクブレーキに進化する。1500の生産終了が1962年だから、宇田川さんのは最終モデルということになる。

1963年に、ファリナの1600Sにモデルチェンジするが、この年ケネディ大統領暗殺という暗いニュースが世界を駆け巡る。

そして10年後に作家ノーマン・メイラーの爆弾発言「モンローは大統領の愛人・が弟ロバートとも関係があり、それを種に結婚を迫った三日後の死は自殺じゃない政府機関の口封じだった」と。