平凡パンチ創刊の頃―昭和39年
平凡出版(現マガジンハウス)のユニークな男性向け週刊誌「平凡パンチ」の創刊は、1964年/昭和39年4月28日のこと。 パンチのターゲットは団塊世代男性で、ファッション・風俗・スポーツなどの情報提供だった。さらにニッポン […]
続きを読む平凡出版(現マガジンハウス)のユニークな男性向け週刊誌「平凡パンチ」の創刊は、1964年/昭和39年4月28日のこと。 パンチのターゲットは団塊世代男性で、ファッション・風俗・スポーツなどの情報提供だった。さらにニッポン […]
続きを読む永世中立国ゆえに自国製兵器や飛行機が必要で、開発した飛行機もWWⅡが終わってみれば需要減退。で、自動車をという手段は良くある手だが、敗戦で飛行機開発製造禁止の日独とは違うから、飛行機も自動車もという理想的発展となった。 […]
続きを読む1937年創業のサーブはSvenska Aeroplan Aktiebolget=スエーデン飛行機製造会社だから飛行機屋である。永世中立国の国策上、専守防衛で自国製飛行機が必要で、以前紹介したB17型攻撃機を開発したが、 […]
続きを読むWWⅡ後、淘汰が進む米市場で勝ち残ったのは、ビッグスリーと呼ぶ、GM・クライスラー・フォードの三社だった。 今ではビッグツーになって、クライスラーはフィアットの傘下だが、戦後の一時期、フォードを押さえて米国二位の地位を張 […]
続きを読む鮎川義助を知る人も少なくなった。明治13年山口生、東京帝大卒、明治43年戸畑鋳物社長、昭和3年日本産業創業…一代にして日本を代表する日産コンツェルンを築き上げた偉人である。 その一環で日本に乗用車産業が必要と日産自動車を […]
続きを読む自動車は歯車を切り替える変速機の時代が長く続いたが、1950年代になるとノークラッチ=オートマチック変速機=ATの普及が始まり、次ぎに到来したのが無段変速機CVTだった。 「自動車はドイツで生まれフランスが育てた」と云う […]
続きを読むWWⅡ中、軍用トラックや飛行機発動機で国に貢献したスチュードベイカーは、他社同様、戦後、即自動車造りに戻った。そして1947年には、ライバルに先立ち戦後のモデルを発表する。 それはレイモンド・ローウィが関わる作品の始まり […]
続きを読む刃物で知られるドイツ・ゾリンゲン生まれの先祖を持つJ.スチュードベイカーから馬車造りを習得した五人の息子は、1835年頃に各自独立し、兄弟合わせた生産量はシェア全米一位と云われた。 1852年になると、クレメント&ヘンリ […]
続きを読む戦争で瓦礫と化した国土、そして貧乏経済は敗戦国同士、日本もドイツも同じだった。で、考えることも同じ、走れば良し・使えれば良し、という廉価簡便型くるま造りがはじまった。 自動車後進国の日本でも、ニッケイタロー、テルヤン、フ […]
続きを読む云わずと知れたフォード・リンカーンは、キャデラックと並び米国を代表する高級車の一台で、大統領公用車として何度も檜舞台に登場している。 バブルが膨らんだころ、やたら登場したスペシャリティーカーやハイソカーという言葉は、島国 […]
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