CVTはオランダで生まれ日本が育てた

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自動車は歯車を切り替える変速機の時代が長く続いたが、1950年代になるとノークラッチ=オートマチック変速機=ATの普及が始まり、次ぎに到来したのが無段変速機CVTだった。
「自動車はドイツで生まれフランスが育てた」と云う名言があるが「CVTはオランダで生まれ日本が育てた」と胸を張れる変速機だ。
その始まりは、オランダのバンドルネが開発した特許バリオマチックのスチールベルトの購入契約を結んだ富士重工スバルだった。
が、こいつはNSUの特許ロータリーエンジンを導入したマツダが、苦労の末世界初実用化に成功量産化したのと同様なシロ物で、大排気量には適さず、スバルは三菱電気の電磁クラッチなどを組み込み、軽自動車用として量産・実用域までに仕上げたのである。
その後の発展ぶりは御承知の通り…日本ばかりか世界にまで普及し、パワーが必要なSUVにまで使われほどに成長した。

このCVT、いやバリオマチックを開発したバンドルネの創業は意外に古く、1928年バンドルネが修理工場を創業したときに遡る。
そして48年に商用車生産開始。58年乗用車生産を開始するも、経営は芳しくなく、75年ボルボに買収される。その後87年に英レイランドと合併し以後DAFを名乗るが、93年に倒産する。
で、政府はオランダ唯一自動車工場救済に乗りだし、政府・ボルボ・三菱、三社対等出資で新会社ネッドカーが発足。私が訪れた時には,工場内のラインを、三菱カリスマとボルボ40シリーズが仲良く流れていた。

さて75年迄のバンドルネが58年に売りだした乗用車が500-DAF/500ccで、62年型がトヨタ博物館にある。
トヨタのは空冷水平対向二気筒750cc・30馬力だが、66年には844cc・40馬力・最高速度108粁に、68年にはルノー1108cc・50馬力・140粁に、倒産する頃には1300ccを搭載していた。

トヨタ博物館の1962年型DAF:全長3680x全幅1440x全高1380㎜・車重665kg・空冷水平対向二気筒750cc・30馬力・バリオマチック変速機・四輪独立懸架・前輪トーションバー/後輪コイルスプリング。

この時代のDAFは当然バリオマチック搭載だが、スチールベルトではなくゴムベルトで、FRの各後輪を駆動する仕掛けで、耐久性に乏しく、効率も低いのが難点だった。
その後、DAFから離れたバンドルネはVDT社を創業、スチールベルト式を開発し特許を取得したのである。その特許で世界初量産化に成功した当時のスバルは、愚痴をこぼしていた。
「VDTから届くベルト量が少なくジャスティーを量産出来ない・ウチで造れば量産ばかりか性能も上がるが特許契約で買うしかない」とこぼしていたのを思い出す。
そして特許が切れると各社で開発が一気に進み、大排気量、大トルクにも対応可能になり、こんにちの隆盛を極めたのである。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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