【車屋四六】三年で消えたフォードの画期的乗用車

コラム・特集 車屋四六

{お湯を掛けて三分間}有名なCFで登場した即席チキンラーメンは、世界的な大発明になった。それが登場した昭和33年/1958年、アメリカでフォードの画期的乗用車が誕生した。

フォード・エドセルだが「エゼルだよ」というアメリカ人がいたが、ここではエドセルということにする。そもそもエドセルとは、ヘンリー・フォードの息子の名。彼は「父は大衆車だが私は高級車を」と云い、左前のリンカーン社を買収した、やり手だった。

やり手のエドセルは、38年にフォードのDX版としてマーキュリーを投入するが、戦後、リンカーン寄りに高級化したので、その間を埋めるために開発されたモデルがエドセルだった。

エドセル登場は50年。二代目社長エドセルは既に死去、三代目はエドセルの長男で、父の名{エドセル}と命名したのである。
WB118インチ/2960㎜と124インチ/3100㎜の二種。全長5472㎜・V8は5776cc303馬力と6560cc345馬力。2&4ドアセダンはハードトップとコンバーチブル・ステーションワゴンという構成。
グレードは下から、レンジャー・コルセア・サイテーション。販売価格は2519~3801ドルだった。

莫大な宣伝費を掛けて登場、年間販売目標20万台を予測が、蓋を開けてみると思わぬ不評、3年間で売れた数が僅か11万台で市場から撤退という、不名誉な失敗作になったのである。

まず斬新な姿が不評で、特に馬蹄形グリルは{駄馬の首輪}{便座}、あげくのはてには{女性器}とまで揶揄されてしまった。
期待の斬新メカも不評…ハンドル中央の五個のシフトボタンはAT用・水平回転の速度計・丸い四個の計器は左から磁石/回転計/時計/暖房調節など今でも通用する斬新メカも通用しなかった。

ハンドル中央にATのセレクターボタンと斬新なインパネ周り

で、僅か1年で目立たぬグリル、通常型メカに変更するが、売り上げは改善せず。僅か3年で市場撤退という短命モデルになった…以後駄目なものを{エドセル}と云うようになったそうだ。

当時日本は外貨不足で輸入禁止時代だから、青ナンバーの外交官や進駐軍の3Aナンバーの数台を見たに過ぎない。

さてエドセルと同じ年誕生の即席ラーメンの生みの親は安藤百福。戦後闇市のラーメン屋に行列待ちする人を見て{家で簡単に食べられるラーメンがあったら}というのが開発の動機だそうだ。
自宅の庭に小屋を建て、家族の顰蹙(ヒンシュク)を買いながら2年間、完成した即席麺に{チキンラーメン}と命名、から日清食品を創業、発売。こちらはエドセルとは違い順風満帆の航海に出た。

安藤百福生誕100年記念復刻チキンラーメン:35円の値段を思いだした:当時街のラーメン屋も同値だったから安くはない

もっとも、3分待つのがもどかしく、味付き乾燥麺を囓りながら麻雀したり、酒の肴にしたりする人もいた。いずれにしてもヒットすれば{柳の下に泥鰌}というわけで、後追い麺製品が続々。
更にワンタン・蕎・うどんなども戦列に。やがてスープと麺が分離/即席ラーメンはインスタントラーメンに。さらに乾燥葱・焼豚・胡麻・辣油等々で高級化/カップ麺登場/世界制覇に出航したのである。