全米を席巻した馬車屋スチュードベイカー

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刃物で知られるドイツ・ゾリンゲン生まれの先祖を持つJ.スチュードベイカーから馬車造りを習得した五人の息子は、1835年頃に各自独立し、兄弟合わせた生産量はシェア全米一位と云われた。

1852年になると、クレメント&ヘンリー兄弟がスチュードベイカー兄弟会社を設立、他兄弟も協力し発売した馬車が好評で、その工場面積20エーカーは、世界最大の馬車工場と呼ばれた。

スチュードベイカー・ブラザース会社1902年/明治35年の広告。

1889年/明治22年、ハリソン大統領用公用車を納入する頃の工場は実に100エーカーにも達し、其処には大量の蒸気機関、発電機などで駆動する工作機械が大量に、そして電灯やアーク灯が夜通し輝いていたという。

現在工作機械は機械毎のモーター等で駆動するが、私が子供の頃は一個の電動機が複数の機械を駆動していた。先ず大きな電動機が天井に渡した沢山のプーリー付き長尺シャフトを常時廻す。その下の旋盤やドリルは、天井のレバーでベルトをプーリーに押しつけると稼働し、離せば停まるという仕掛けだった。

スチュードベイカーの工場も多分そんな仕掛けだったのだろう。で、その機械を駆動するベルトの総延長が11㎞もあったということから、工場の規模を連想して頂きたい。

スチュードベイカーの自動車屋稼業は1897年に電気自動車、1904年の内燃機関自動車で始まった。当初はOEMだったが、13年からは自社ブランドとして発売を開始した。

自動車は好評で、28年登場のプレジデントは、量産車の速度記録を樹立。また39年には小型大衆車を開発発売するが、これがWWⅡ以後にも繋がるチャンピオンシリーズの源流と思われる。

スチュードベイカー・プレジデント・モデル91・フォーシーズン・コンバーティブル・ロードスター/1932年:$1755・T/T2399台・WB3429㎜・直八Lヘッド5892cc・122馬力

さて米国がWWⅡに参戦すると、当たり前のように兵器生産に奔走し、自動車生産を中止したのは、他メーカーと同様である。

で、US6型2.5トン六輪トラックを20万台も軍に納入、また米最大の発動機メーカー・プラット&ホイットニー社の空冷星形エンジンを量産し、欧州戦線で活躍したボーイングB17爆撃機などに大量納入した。

そしてWWⅡが米国勝利で終戦。戦中は乗用車生産ストップだから、戦後は需要旺盛、その中でヒットを飛ばす話は次回に。

WWⅡ中の広告:我社の発動機をボーイングB17フライングフォートレス長距離爆撃機に:ライトサイクロンR-18-1820-97・空冷星形1200馬力を終戦までに6万3789基生産した。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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