国民車構想の登場

昭和20年8月15日太平洋戦争が終わった頃、学童疎開先の栃木県岩舟村辺りを走るバスやトラックは背中の釜で燃やした薪で走り、隣の佐野市には薪のハイヤーも走っていた。 9月に東京に帰ると、走る車の大半は進駐軍の軍用車で、ウエ […]

続きを読む

幻のP-1/スバル1500

敗戦占領下の日本、GHQの財閥解体令で三井、三菱、日産など大企業が分割されたが、その中に中島飛行機も含まれていた。 分割された会社は、富士精密、富士産業、富士自動車など、富士が付く会社名が多かったが、GHQの顔色を伺いな […]

続きを読む

豪商高田屋嘉平

親友高田嘉七とのなれそめは昭和31年。独逸人ルディー経営のビアレストラン元祖の銀座ゲルマニアで、毎晩顔を合わせるうちに何時の間にか飲み歩く仲になった。古めかしい嘉七の名には由緒があり、高田屋嘉平の七代目の孫、それで嘉七な […]

続きを読む

昔の計時室

小生JAFの資格は、公認審判員計時一級なので、初期ビッグレースでは、コントロールタワー最上階が仕事場だった。 近頃は車一台毎の発信器からの信号で周回数や順位などを自動記録するので間違うはずもないが、昔は緊張の連続だった。 […]

続きを読む