【車屋四六】B25爆撃機で飛ぶ

コラム・特集 車屋四六

勝った勝ったと有頂天の日本への初空襲は、ノースアメリカンB25爆撃機だった。昭和17年、空母ホーネットを発進した16機が、東京→名古屋→神戸と駆け抜けたが、目的は戦果じゃなく、米国内の戦意高揚だった。

空母ホーネットを発進した16機

B25は、1941年に、欧州戦線に実戦配備された名爆撃機。そんなB25で、飛んだことがある。ロスから二時間ほどの、チノ空港の航空博物館で、B25、P38戦闘機、T6練習機、B17爆撃機などに乗れるのだ。

チノ空港 航空博物館にてB25と筆者

1990年代だったが、30分ほどのフライトでB25が$800。B17四発爆撃機$2000。乗るとレシーバーを渡された。機内連絡用と思ったら違った。ジュラルミン一枚で遮音材なしの機内は、爆音で耳がおかしくなるためだった。

歩腹前進で先頭銃座に行き写真を撮っていると、着陸態勢になり、後部に戻れという「着陸で前脚折れたら死んじゃうヨ古い飛行機だから」と。山岳スレスレに飛んだりして「恐かったろう」と機長がいう「NO・俺もパイロットだ」というと、ちょっとガッカリ顔だった。

上空から撮影したチノ空港
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