テールフィン・ラブ
敗戦間際にドイツでメッサーシュミットやハインケルのジェット戦闘機が登場したが、WWⅡ中の戦闘機はプロペラ機の戦いだった。1950年の朝鮮動乱では当初プロペラだったが、国連軍優勢で中国軍が参戦すると、ソ連貸与のMIG-15 […]
続きを読む子供の頃は馬来=マライと呼んだイギリス領が、WWⅡ後に独立しマレーシアが誕生する。戦前から主要産物はゴム…戦後石油科学が発達しても、相変わらず天然ゴムは重要な産物だった。 ちなみにマレーシアは立憲君主国で国王がいるが、1 […]
続きを読む乗るだけが好きな人もいるが、クルマが好きな人にはメカ好きも多い。クルマの中身は透視図などで見る機会はあるが、飛行機となると中身が見えない。私も子供の頃見たくてしようがなかった。 そこで今回は、フランスで見つけた復元途中の […]
続きを読むいすゞは、GMファミリーになったときに乗用車生産を止めてしまったが、GMと手が切れても復活はなかったのが残念。そもそもいすゞの源流は、石川島乗用車製造所で、1916年創業だから日本では老舗中の老舗。今でも貨物自動車、バス […]
続きを読む世界水準からは遅れた日産車を担いで渡米した片山さんは、努力開拓のすえ、ダットサンの名と日産車の信用をアメリカ市場に定着させ、米国自動車殿堂入り、そして日本では藍綬褒章も受け、なんと105歳で天寿を全うした。 片山さんの一 […]
続きを読む「オトッツァン、金持ちの子供みてぇだ」とケン坊が笑った。銀座服部時計店の高級時計展示会でブレゲを買ったという。「素敵なロレックス持っているのになぜブレゲを」と聞くと、「ピンバッジのオマケが欲しかったんだ」と…70万円も払 […]
続きを読む片山さんが、アトランタで大歓迎を受けてからしばらくたった1998年「オトッツァンが大変だぁ」と、ケン坊から電話があった。「マッド・マイクから電話でオトッツァンが自動車殿堂に入った」というのである。テキサスで印刷業を営むマ […]
続きを読む単なる荷物車だったダットサントラックだが、渡米した片山さんは、海岸でピックアップトラックで遊ぶ若者を見て、「楽しい運転ができればスポーツカーだよ」「見ろこいつはフロアシフトだ、楽しく遊んでくれ」と、難攻不落の米国市場の一 […]
続きを読む「オトッツァンの事務所の壁にZ旗が」とは、片山一家壱の子分・佐藤健司ことケン坊。Z旗とは万国船舶信号旗用アルファベット最後の一文字だが、日本では「興国の興廃この一戦にあり…」の名句で知られる旗じるし=強敵ロシア・バルチッ […]
続きを読むアメリカ人は基本大型車大好きだが、買えない階層もいる。で、中古車を買うがアメリカ車はアフターサービスが悪い…整備悪けりゃ燃費も悪化。で見直されたのが丈夫で燃費が良い日本車。その評判がフォルクスワーゲを上回るようになり51 […]
続きを読む