ホンダ・プレリュード誕生

コラム・特集 車屋四六
大老井伊直弼が水戸浪士に討たれた桜田門前の警視庁が建設中だから、多分1978年暮れだろう。その警察庁とプレリュード。
78年は池袋サンシャインや成田空港が出来た年だが、新型フェアレディやセリカXX、ニューフェイスのサバンナRX-7などの登場で、日本に本格的スポーツカー時代が到来した年だった。
一方で愛煙家には嫌な時代が始まった。築地がんセンター待合室の禁煙は仕方ないとしても、地下鉄に禁煙タイム、JALに禁煙席登場で、嫌煙権なるものが一人歩きを始めた年でもあった。
一方、自動車業界では、かたくなにFFに固執していたトヨタが、遂にFFのターセル&コルサを発表して、日本は足並揃えて本格的FF全盛時代に向けて走り出したのである。
二輪では世界チャンピオン、F1優勝、高性能に世界が感心したS600、ユニークなDDAC型空冷エンジンなど、ホンダのイメージはスポーティーなのにスポーツカーがない、のファンの要望に応えたかのように登場したのがプレリュードだった。
日本初の電動スライディングルーフのプレリュード
アコードの部品流用、ショートWBで2+2に仕立てたプレリュードは、全長4090×全幅1635×全高1290㎜・直四OHC1750cc・65馬力は排ガス対策CVCCで髙出力ではなかったが、890kgという軽さで加速感に不満は生じなかった。
5MTでゼロ400m=18.0秒。ゼロ100km11.7秒。最高速度170km 。一方、無段変速型ホンダマチックは変速ショックはないが、加速がノンビリで、ゼロ100kmが19.0秒だった。
価格は116万円~138万円で、AT仕様3万円高。エアコン+17万円。さすがにATの加速は気になっていたようで、79年になると2から3モードに進化する。その頃ちまたではインベーダーゲームが流行し、フロントホックブラに女達が「楽になった」と。
ルービックキューブが流行った80年、プレリュードに日本初の電動ガラスサンルーフが登場したが、手動なら8ヶ月早いセリカXXが日本初のということになる。
大和男の子胴長短足の私には頭上が窮屈なプレリュードだったが、人気は上々で、80年9919台、81年7228台、82年8630台と売り上げて、11月に二代目へと世代交代をした。
羽田空港の滑走路直前に着水したJAL逆噴射事件で知られる82年に誕生した二代目の人気は抜群で、83年2万3590台、84年3万3799台と、このジャンルではトヨタや日産を足元にも寄せつけない独走ぶりを見せたものだった。
羽田空港滑走路33R直前に着水のJAL:北陸方面の空撮で調布飛行場を離陸すると羽田が騒然としているので見に行ったら写真の有様/高度約二千米で筆者操縦撮影

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。
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