RVのルーツ・初代ジープは小企業の粗製濫造品

コラム・特集 車屋四六

既に日本語になったRVの定義は曖昧で、思惑や都合でRV仲間に入れてしまうが、云いだした頃のRVは、乗用志向が強いビッグホーンやパジェロなどのクロスカントリー型だった。
となると元祖はジープだろうが、こいつを元祖に入れるのは如何なものか。米国陸軍の注文で生まれた純粋な兵器で、遊び車ではないからだ。

そもそもは1939年のドイツ軍ポーランド侵攻で、世界が注目したのが電撃作戦と呼ぶ機甲軍団の快進撃。その中に悪路も構わず走り回る小型車に気が付いたのが、米国陸軍だった。

さすが世界一の自動車生産国。その後の対応は信じられない速さで、40年6月19日仕様決定…そのオファーに名乗りを上げたのが、ウイリスオーバーランドとアメリカンバンタム社。

バンタム社は9月21日、わずか49日後の9月21日に試作車完成…時間がないので、試験走行を兼ね自走で、試作車納入期限23日の締め切り30分前に届けるという離れ業をやってのけた。一方のウイリスは間に合わず、それでも後日納車した。

フォードの試作車GPW:ヘッドライトを内蔵するが他はバンタムそのままだ。

ちなみにバンタム社は、オースチンセブンのライセンス生産で設立の小企業。当時経営不振だったから陸軍のオファーは救いの神だった。で、試作車は部品の寄せ集め…コンチネンタル製エンジン+格子型シャシー+四輪板バネ+曲面なしボディーのバラック仕立て。が、瓢箪から駒で、これらが大量生産向きで、戦地での利便性に大いに役立つのである。

さて陸軍の過酷な一ヶ月にわたる試験に耐えたのはバンタムだったが、陸軍はバンタムの仕様をウイリスとフォードにも開示し、第二次試作を命じた。

で、フォードは、ヘッドライトをフェンダー上から内蔵型に改良したが、これが現在までも続くジープの定番レイアウトになるのだ。

その後、陸軍は三社に1500台ずつの増加試作を命じた。41年に納車された試作車は、41年12月8日真珠湾攻撃後のアジア地区も含めて、実戦配備した。その各社の車輛判別記号は、バンタム40BRC・ウイリスMA・フォードGPWだった。

その実戦試乗の結果とその後はまた次回に。

後の量産型ウイリスMA/1942年型:後席から立撃ちする機関銃を装備している/撮影ラスベガス・インペリアル自動車博物館。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支 離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格 審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち 」「懐かしの車アルバム」等々。

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