【車屋四六】フェラーリ250GTベルリネッタ・ルッソ

コラム・特集 車屋四六

フェラーリといえば、イタリアン・スポーツカーの代表選手だの云って異論を唱える人はいなかろう。高性能で高価なGT、そしてF1レースでは、なくてならぬ立役者でもある。

創業者エンツオ・フェラーリは、WWⅡ前、アルファロメオのレーシング・ドライバーだったこともあるのだから、理想のスポーツカー造りという彼の理念も筋が通っている。

ご存じフェラーリのエンブレムは{跳ね馬}だが、その誕生にはエピソードがある。戦前アルファロメオで活躍する若きフェラーリに「息子が愛機に描いた縁起のいい馬を貴方の車に描きなさい」と申し出た伯爵夫人がいた。

息子とはフランチェスコ・バラッカ大尉。第一次世界大戦中、イタリアの戦闘機で活躍したエースパイロットだった。さっそく車に描き、会社創立後はエンブレとして使い続けているのである。

フェラーリが世界のレース場を荒らしまわり、性能が認められると、50年代からの市販車には二つの流れが生まれた。
一つは、レーシングカーのロードゴーイングバージョン。そして高性能とともに快適性も加味した高級スポーツカー、いわゆるグランツーリスモ=GTである。

写真は、その代表的な一台で、フェラーリ250GT ベルリネッタ・ルッソ/1964年製。ルッソとは、イタリア語で{ラグジュアリー}だそうで、60年代、美しい姿の車に付けられた名前と聞く。

フェラーリ250GTO/レーシングカー

250GTベルリネッタ・ルッソのお目見えは、62年のパリサロン。評判も良く、64年までに350台が世界の金持ちの手に渡っていった。
ご存じのように、フェラーリには同じ名前でも、いくつかのカロッツェリアに発注されるので、姿が異なる。
写真の250GT は、スカリエッティ工房作と思われる。

車体は、チューブラー・スペースフレームというから、瀟洒な姿とは裏腹にレーシングカーの構造のままである。
ティーポ68と呼ぶエンジンは、V12OHC・2953cc・ウエーバーキャブ三連装で250馬力/7000回転という当時としては感心するほどの高回転高出力で、トップスピードは240km/h。

フェラーリには、二つの流れ、と説明したが、スカリエッティの250GTの母体は、ピニンファリナの250GT ベルリネッタで、こいつはレーシングカーのロードゴーイングバージョンだった。

さらに源流にさかのぼると、たどりつくのはレーシングカーそのもの、フェラーリ250GTOである。最後の{O}は、オモロガート=公認ということで、42台が公認されて、レースで活躍した。

フェラーリ250GTベルリネッタ・ルッソ

250GT ベルリネッタ・ルッソがイタリアで誕生した62年/昭和37年、高性能GTが続々と生まれる欧州とは裏腹に、日本のスポーツカー市場に登場したのがフェアレディー1500だが、こいつは日本初の量産スポーツカーだった。
堀江謙一の単独太平洋ヨット横断、ファイティング原田世界フライ級チャンピオンが話題の年だった。

また64年/昭和39年には、ベレット1600GT、スカイライン2000GTが相次いで誕生する、これが日本初のGTである。
東海道新幹線開業、羽田浜松町間モノレール開通、海外観光旅行自由化、そして東京オリンピックが開催された年である。