世界の走り屋のバイブル「シルバーフォックス」
昔はグランプリドライバーと呼んだが、世界のレースを勝ち抜き、技を認められたドライバーにF1出場のライセンスが発給される。ということは一流中の一流に、更に{超一流}となると、長い歴史の中でも限られた数になる。 FISCOで […]
続きを読む昔はグランプリドライバーと呼んだが、世界のレースを勝ち抜き、技を認められたドライバーにF1出場のライセンスが発給される。ということは一流中の一流に、更に{超一流}となると、長い歴史の中でも限られた数になる。 FISCOで […]
続きを読む1963年、鈴鹿の第一回日本グランプリの頃、自動車会社は、レースは一部愛好家の道楽で販売とは無縁と決めて「メーカー参加せず」の紳士協定をかわしていたが、大会終了後、対応が一転した。 で、不参加表示の日産に対しNDC東京の […]
続きを読む世界最古の自動車会社は?と聞かれたら「ダイムラーベンツ」とは誰でも知っているだろうが、日本最古はと聞かれると答えられる人は少なかろう。 大正6年に登場した三菱A型は僅か60台で幕を閉じ、大正10年、石川島造船(いすゞのル […]
続きを読む時計師本間誠二は、時計業界では知られた存在だが、日本の初期モータースポーツに活躍した人物でもある。JAF創設時にはスポーツ委員、公認審判員としてビッグレースの計時委員長、JAF公認NDC東京の会長も務めた。 トップ写真の […]
続きを読む若い編集者が避けるのか、年を取ると新車の記事依頼が減り、書き手が少ない昔の車の原稿依頼が多くなる。まるで古道具骨董専門商的になっただけに、古い車に出会うと嬉しくなる。 毎年三月末に出掛けるバンコク自動車ショーのクラシック […]
続きを読むモノクロ写真は無塗装飛行機のようなジュラルミン肌ではない。カラーでないのが残念だが、ボディーを洋銀で仕上げた特注品である。オーナーは、英領印度REWA国で1922年に王位を継いだ、第34代マハラジャのグラブ・シンである。 […]
続きを読む答えは1910年創業のデューセンバーグと答えるだろう。高級+高性能で、24/25/27年とインディー500に優勝。21年ルマン24時間にも優勝という輝かしい経歴は、GPで活躍したフランスの名車ブガッティにも似た経歴の持ち […]
続きを読むプロのスポーツ選手は車好きが多い。現在は多種多様だが、昔日本ではまだ知名度が低いアストンマーチンV8バンテージに、野球の大選手大監督の落合博満が乗っているのを見たことがある。 さすが大物、目が高いと思ったら動機は単純で「 […]
続きを読むかつてトヨタは生産量世界一になるのを避けていたが、GMの破綻で自然発生的に世界一の座を得ると、予測通り米国のバッシングが始まる。議会公聴会や報道、また公衆面前で日本車をトンカチで壊し「トヨタ車下取りで○○ドル進呈」など露 […]
続きを読む私昭和8年生まれの子供時代、恐いものの例えに「地震カミナリ火事オヤジ」…また青年時代には「一ヒメ二トラ三ダンプ」「神風タクシー」なんて云うものがあった。 昭和30年代後半、車が増えて怖いものは、女の運転(一ヒメ)、酔っ払 […]
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