古今東西、米国で一番の自動車は?と聞かれたら

コラム・特集 車屋四六

答えは1910年創業のデューセンバーグと答えるだろう。高級+高性能で、24/25/27年とインディー500に優勝。21年ルマン24時間にも優勝という輝かしい経歴は、GPで活躍したフランスの名車ブガッティにも似た経歴の持ち主なのだ。が、26年に買収されたコードの倒産で、37年に幕を閉じた。

コード時代、米国最大寸法&最速&高価格&高品質を目標に開発した、直列八気筒DOHC32バルブ7L265馬力のモデルJは、28年にニューヨークでデビュー、車重3トンを192㎞で走らせた。

ロールスやブガッティ同様、当時の高級車の習慣でシャシーのみの販売価格は$8500。フォード$500の頃だ。コーチワーク後にはその倍、三倍の値段にはなるが、この世に同じ車が2台と存在しないのが最高のステイタスだったと云えよう。

そして32年登場のモデルSJは、スーパーチャージャーで320馬力/208㎞。いずれにしてもオーナーは超金持、筆頭はウインザー公、そしてハリウッド大スター御用達だった。

トップ写真の36年型デューセンバーグJNコンバーチブルクーペは、ハリウッド王と呼ばれたクラーク・ゲイブルが、女優を口説き落とすために特注というエピソード付の車である。

妻子あるゲイブルなのに、共演したキャロル・ロンバードに惚れ、パーティーを抜け出してビバリーヒルズをドライブ、ムードが盛り上がった頃合いを見て家に誘ったが、むべなく断られた。

で、諦めると思いきや一週間ほど塾考の末、コーチビルダーにJNクーペコンバーチブルをベースのカスタムカーを注文、完成したのが、トップ写真のクーペだった。

で、再チャレンジのデートは成功したようで、キャロルと同棲を始めるが、ファンからのふしだらを責める非難や本妻の逆襲など、順調ではなかったという。が、その後、本妻との正式離婚成立で一軒落着したが、後日談がある。

WWⅡ中キャロルは、戦時国債キャンペーンで各地を飛び回るが、飛行機事故で死亡、二人の中は終わりを告げるのである。

沢山のデューセンバーグを一気に見たいならラスベガスのインペリアル自動車博物館へ:特別室で三列に並ぶ豪華絢爛な姿に圧倒されることだろう。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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