時計屋本間誠二のオースチン

コラム・特集 車屋四六

時計師本間誠二は、時計業界では知られた存在だが、日本の初期モータースポーツに活躍した人物でもある。JAF創設時にはスポーツ委員、公認審判員としてビッグレースの計時委員長、JAF公認NDC東京の会長も務めた。

トップ写真のオースチンセブンは、本間さんの精工舎時代の愛車だが、見るからに時代物でボロ車だった「買ってから25日間一日も欠かさずに故障した」と威張るのだから、ボロさ加減も一流である。

本間さんのセブンは1930年型で、22年から37年迄活躍した世界的ベストセラー大衆車で、各国でライセンス生産され、オースチン社には日産の記録もある。

1905年ハーバート・オースチンがオースチン社創業:写真は1909年型オースチン7馬力。

昔は今と違って車は壊れるものと思っていたから、メカに強いオーナーもかなり居た。私も出先でキャブの分解掃除をしたり、箱根でブレーキのエア抜きをしたりしたものである。

戦前セブンは日本に沢山輸入されたが、何故か医者が多く、幼少時ウチへの往診もセブンだった。直四サイドバルブ747cc/13馬力エンジンは、後年900ccになり、ビッグセブンと呼ばれた。

本間さんのセブンは、今ならマニア羨むクラシックカーだが、当時は現役。敗戦から10年の撮影当時、車を趣味で楽しむ余裕はなく、どんなボロでも庶民には高嶺の花で、持てれば幸せだった。

自動車マニアにはカメラや時計好きが多いということで、カー雑紙「ゲンロク」などに時計の解説を連載、もちろん時計の専門分野では歴史、メカ、アンティークなどのウンチクを傾けていた。

止せばいいのに、頼まれるとNHKなどのTVに出るものだから、全国から修理依頼が舞い込み、頭を抱えていた。その中には19世紀の骨董品、珍品、超高級時計など有り「楽しい」とも云っていた。

クオーツ全盛時にベテラン時計師が引退しても若手を育てなかった業界のツケで、ゼンマイ時計人気が復活しても、難しい珍品や高級品の修理調整ができる時計師不足を招いたのである。

で、此処にベテランが居ると判れば顧客殺到は当然の結果…「本間さん修理待ちはどれほど」と聞いたら「500個以上溜まっている」と聞いたこともあった。

で、忙しかろうと電話をしたら「ジムカーナに行きました」…{雀百まで}の諺のように、本間さんは本業より、大好きは車のようで、奥さんもサジを投げているようである。

と、記事を書いたのは2010年頃だが、確か昭和5年生まれの本間さん、寄る年並みには勝てずに、2018年3月黄泉の国に旅立った。昭和31年来の友、時計好きの私の主治医、ご冥福を祈ります。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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