ラ・ネフ1901年とベンツ1902年
ラスベガスのインペリアルホテル五階の自動車博物館は、一階が大きなカジノだから、オーナーの懐は潤沢なのだろう。コレクションは数百台と聞くが、オーナーの方針なのか、古いばかりでなく有名人の持ち物という附加価値が付いたものを好 […]
続きを読むラスベガスのインペリアルホテル五階の自動車博物館は、一階が大きなカジノだから、オーナーの懐は潤沢なのだろう。コレクションは数百台と聞くが、オーナーの方針なのか、古いばかりでなく有名人の持ち物という附加価値が付いたものを好 […]
続きを読む博打の街ラスベガスにインペリアル自動車博物館がある。同名ホテルの五階が展示場だ。ホテルの下は賭博場だからオーナーのRエンゲルスタッドの収集資金は潤沢なのだろう。 今回は展示車から三台を拾ってみた。先ず米国の自動車史上最上 […]
続きを読むフランス高級車の御三家となればブガッティ、イスパノスイザ、そしてヴォアザンだろうが、元は飛行機会社で1905年/明治38年に世界初の飛行機工場をパリ郊外に建てた会社だった。 ボアザンは品質が良く評判が良かったが、WWⅠで […]
続きを読む著名自動車評論家の米村太刀夫から、古い写真が届いた…車名を知りたいというのだ。写真の出所は、米村さんの高校の級友立川元彦からというが、登録が日本で274番目と云うからかなり古い。 が、こいつは難題だった。20世紀初頭の車 […]
続きを読む昔からシンガーと云えばミシンで、WWⅡ以前は泣く子も黙る世界的銘ブランドだが、出港直前にジョン万次郎が買ったのをペリー提督が徳川将軍に献上、それを使ったのが篤姫と伝えられている。 一方、車でシンガーと云っても判る人は少な […]
続きを読む19世紀から20世紀へ変わる頃のデトロイトは、一攫千金を夢見る起業家や発明家が集まっていた。技術屋のデビッドDビュイックもそんな一人で、失敗と成功、紆余曲折の後、出資者を得てビュイック社を創業したのが1903年/明治36 […]
続きを読むWWⅡが終わり1960年代迄、そうベトナム戦争の泥沼に深入りするまでの米国は、世界最上、豊かな国だったと思う。 世界最大の自動車生産国アメリカの乗用車は、メッキで光輝き、各社競争で年々大型になり、馬力も増大していった。そ […]
続きを読むどれが正しいのか判らない自動車の名前が沢山ある。メルセデスをメルツェデスと呼ぶ評論家が居る。ダイムラーは英国に行くとディムラーになる。外国語音痴の日本人には難しい問題だ。 BMWは、バルコム貿易から輸入権が新規設立のBM […]
続きを読むヘンリー・フォードといえば泣く子も黙る大衆車王だが、高級車も造ったし、レース活動にも熱心だったことはあまり知られていない。そもそもフォードの試作成功は1896年と記録にある。 20世紀初頭、フォードはリーランドと共に創業 […]
続きを読む百瀬晋六:中島飛行機が15社に分割された中の6社で富士重工が誕生して発売した、スバル360を開発した人物。中島在籍中は発動機開発だったが、スバル360では、自動車業界では未知のアルミや樹脂、斬新なモノコックボディーを採用 […]
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