生誕50年目のビュイック1953年型

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19世紀から20世紀へ変わる頃のデトロイトは、一攫千金を夢見る起業家や発明家が集まっていた。技術屋のデビッドDビュイックもそんな一人で、失敗と成功、紆余曲折の後、出資者を得てビュイック社を創業したのが1903年/明治36年で、16台を出荷した。
が、ボロ儲けの当てが外れた出資者は会社を売りに出し、買ったのが、後にGMを組織するウイリアムCデュラントだった。

ビュイックはWWⅡ直後に戦前型で生産再開したが、49年にフルモデルチェンジ、50年型で出っ歯剝きだしのようなラジェーターグリルをデビューさせたが、こいつが不評で、おとなしい姿に逆戻りして、54年に新型にバトンタッチした。

出っ歯が特徴の1950年型ビュイック・スーパー/3マンダイのナンバー:吉田茂首相の車で退職時にお気に入り運転手・高橋元三郎/背景の様子から青山斎場からの道路で都電が見える。

当時GMの陣容は、大衆車シボレー、少し上等なポンティアック、スポーティーなオールズモビル、年輩者好みのビュイック、そして最高級キャデラックと並んでいた。
ということで、裕福なビュイックのオーナー達は年輩者だから、大方が保守的で、時流を追う斬新な顔は嫌われたのだ。

72年頃まで、ビュイックの両サイドには飾り穴が開いていたが、最上級シリーズのロードマスターが四つ穴でフォーフォアラーと呼んでステイタスさを強調、次のスーパーは三個、何も無いのが下位モデルのスペシアルだった。

ちなみにスペシアルは戦前からの直列八気筒4578cc・130馬力を搭載し、上位二機種は斬新なV型八気筒5277ccで、スーパーが170馬力、ロードマスターが188馬力と格差を付けていた。

当時GMのATはシボレーがパワーグライド二速、ポンティアック、オールズ、キャデラックがハイドラマティック三速で、ビュイックは変化比が大きなトルコン重視のダイナフロー二速だった。
シボレーの二速は具合の良いものではなかったが、ビュイックは大排気量大トルクらしく鷹揚な走りが独特で、特に柔らかなサスと相まって年輩者好みの走り味だった…燃費は悪かったが。

高級車なのに人気は上々で、53年の販売量は、ロードマスター7万9237台、スーパー19万1894台、スペシアル21万7624台=48万8755台というのだから、たいへんなものである。

カリフォルニアのコンクールドエレガンスで見つけた1963年型ロードマスター四ドアセダン

53年は創業50周年と冒頭で紹介したが、加えて、創業からのビュイックの総生産台数が700万台の大台に乗った年だった。
そして54年のフルモデルチェンジでは、両サイドまで回り込んだフロントのラップアラウンドウインドーで姿を際立たせ、更に人気を上昇させたのである。

1952年型ビュイクスペシアル:遠目にうっすら台形屋根で東京駅前から皇居への並木道だろう/3Aナンバーでも判るように昭和20年代・30年代は進駐軍の通勤車が沢山駐まっていた

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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