ミシンのシンガーじゃなくて、車のシンガーって知ってる?

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昔からシンガーと云えばミシンで、WWⅡ以前は泣く子も黙る世界的銘ブランドだが、出港直前にジョン万次郎が買ったのをペリー提督が徳川将軍に献上、それを使ったのが篤姫と伝えられている。

一方、車でシンガーと云っても判る人は少なくなった。

今回の話題は車の方で、長らく伊藤忠自動車がルーツグループの日本総代理店で、アルファロメオやスバル360と共に赤坂のショールームに飾られていた。

そもそもルーツは1933年に、ハンバーとヒルマンを軸に三社ほどの合併で発足した。その後タルボやサンビームが、最後にシンガーを加えたのが55年だった。

シンガーは英国の老舗で1905年創業。どちらかというとスポーティー車造りが得意だった。WWⅡ直後に進駐軍兵士が持ち込んだスポーツカーはMGに似ていたが、MGほど姿に洗練さが無く、人気はイマイチだった。

もっともMG―TDの1250cc・57馬力に対してシンガーは1500cc・58馬力だから、低回転でのトルクが強く、ずぼらな運転が楽しめた。更に四人乗りというのも日本人向き…マイカー時代到来前の敗戦貧乏の日本では「高い金払って二人しか乗れないなんて」という心境だったのである。

進駐軍が日本に持ち込んだシンガー1500・四座スポーツカー

一方、英国では、戦前戦後を通じてMGとはライバル同士で、各地のレースで張り合う仲だった。WWⅡ後、英国の国策に沿ったドル稼ぎを狙い、48年になるとスポーツカーのシャシー流用の1500SMセダンを開発するが不人気で、それが命取りになり、ルーツ傘下に入ったようだ。

一方で、世界は未だスチールボディー全盛時代なのに、英国初のプラスチックボディーのシンガーSMXで意外な時代の先取りもしたが、日本の路上で見ることはついになかった。

斬新なプラスチックボディーのシンガーSMX

WWⅡが終わって暫くの間、英国は世界でも有数な自動車大国で、大量輸出国らしく一国で抱えるブランド数では世界一ではなかったろうかと思うが、今にして思えば、業界の老化現象に気が付かず、改善対策もせず、暗中模索のうちに合併統合、廃業を繰り返しながら、斜陽の道を歩いていたのである。

ちなみにシンガー初のスポーツカー誕生は1905年/明治36年だが、日本は日露戦争中で、旅順陥落、奉天会戦勝利、日本海海戦の勝利で、大国ロシアに勝利を決定付けた年である。

年式不明だが初期のシンガースポーツカー

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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