トヨタ自動車のルーツ
教科書にも出ている豊田佐吉は著名だが、成功した自動織機と共に自動車開発も夢見ていた。が、時期尚早で、夢は長男喜一郎に託された。で、喜一郎は豊田自動織機社内に自動車部を創設し、研究開発を始めた。 そこで未知の世界の手本とし […]
続きを読む教科書にも出ている豊田佐吉は著名だが、成功した自動織機と共に自動車開発も夢見ていた。が、時期尚早で、夢は長男喜一郎に託された。で、喜一郎は豊田自動織機社内に自動車部を創設し、研究開発を始めた。 そこで未知の世界の手本とし […]
続きを読む昔はキャデラック八座席リムジンやジャガーMK-Ⅶなど、昭和30年代初頭から乗り継いで、小生最後の登録車は、小さな高級車と呼ばれたトヨタのプログレだった…そして軽自動車に乗り換えた。 当時82才、終の棲家、いやツイの車とし […]
続きを読むWWⅡ後の日本では、スクーターを「ラビット」と呼んだように、戦前戦後の一時期、小型車を見れば全部ダットサンだった。 そもそもダットサンの名の誕生は1932年/昭和7年だが、車の起源は更に古く、大正3年橋本増二郎創業、快進 […]
続きを読むラスベガスのインペリアル自動車博物館紹介もそろそろ終わりにしようと思う。前回、元祖大衆車とフォードを紹介したが、この元祖とは世界的に価値があるものだと思う。 フォードはコンベアシステムの開発で、量産効果によるコストダウン […]
続きを読むラスベガス・インペリアル自動車博物館には当然のようにフォードが点在する。金満家御用達だった自動車を、流れ作業の開発で大衆車造りに成功、スタート時の$800前後でも安いのに、最終的に$200台にまで値下げ成功の功績は素晴ら […]
続きを読むラスベガスの7回目は、極初期の米国車の紹介。ダイムラーとベンツが内燃機関を発明して、フランスで普及の途についた自動車だが数年後には、やがて自動車大国になる米国でも開発が始まり、数多くのメーカーが誕生した。 その中で190 […]
続きを読むラスベガスのインペリアル自動車博物館の6回目。 1902年メルセデス-ベンツとあるが、間違いでは?、メルセデスはダイムラーの商号でベンツの物ではないからだ。この博物館には首をかしげる解説が時々あり、エンジンも4気筒登場は […]
続きを読むラスベガスのインペリアル自動車博物館紹介も5回目になり、今回は、ハドソンとミネルバ、そしてデュポンを紹介したい。 トップ写真のハドソンは1920年製で、19世紀から20世紀に掛けて活躍した歌手エンリコ・カルーソの愛車。1 […]
続きを読むトップの写真はメルセデスベンツ770Kグローサーメルセデス1937年製。云わずと知れたヒトラー総統が愛したベンツの最高級車で、パレード好きの総統とナチ高官の為に17台だけ作られた。 その一台がヒトラーの帽子と並べてラスベ […]
続きを読む仏ユニック社はジョルジュ・リシャールが1904年創業、39年迄存在したが、写真のユニックはロンドン警察の規則に合わせて製作したタクシー専用車だった。 前席には運転手用の座席が一個のみで反対側にドアはなく、後年ロンドンタク […]
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