インペリアル自動車博物館 元祖大衆車フォード登場

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ラスベガス・インペリアル自動車博物館には当然のようにフォードが点在する。金満家御用達だった自動車を、流れ作業の開発で大衆車造りに成功、スタート時の$800前後でも安いのに、最終的に$200台にまで値下げ成功の功績は素晴らしいものだ。
フォードの出発はダイムラーより10年遅く1896年。それから着々と進化し、1906年に有名なT型の原型とも云えるN型を完成するが、同時にフォード唯一の高級車K型も発表している。

1906年フォードK型ツーリング/$2500:水冷直列六気筒6633cc・40hp/1500rpm・二速遊星ギア変速機/前照灯アセチレンガス・車幅灯灯油ランプ/ラジェータ下部に始動用クランクハンドル。

さて、破格値段の斬新コンベアーシステムから生まれたT型の登場は1908年/明治41年。09年、本格販売開始時ツーリングの販売価格$850。それが26年には$290に、量産効果とは恐ろしいものである。で累計生産台数は1500万7033台に達した。
頑固なフォードの信条は「良い車は一度買ったら生涯乗るもの」として頑張ったが転機が訪れる。T型で増えた顧客が欲する二台目新車は少し高級…そこに目を付けたのがGMシボレー…こいつが見事に的中し、T型の売上げ低下には頑固オヤジも頑張りきれず、登場したのがA型だった。

1915年フォードT型ツーリング:直四2894cc・20hp/4500rpm・二速遊星ギア変速機・15年型から登場の電気式前照灯と真鍮の電気式警報機に注目。博物館で唯一記念写真が撮れる車。

シボレーの追い上げで誕生したA型は、2年連続で市場トップの座を失うが、A型量産体勢完了の30年には、148万台で王座に返り咲く。で、28年120万台で首位を奪ったシボレーは、86万台と落ち込んで王座を明け渡したのである。
が、不運なことに米国に端を発する世界的大恐慌発生で、これを旨く乗り切ったGMに対し、フォードは30年より3年間連続赤字で、半永久的に首位の座を失い、大衆部門ではシボレーの天下が続くことになる。
そして市場ニーズに合わせてモデルチェンジを繰り返すGMの戦術に巻き込まれて、フォードも追従せざるを得なくなるのである。

1915年フォード・ロードスターが米国の消防署長用に採用され赤い塗装で前窓の前に小さな真鍮ベルが付いていたそうだ。写真はデンバー消防署の同時代のピックアップだから、署長用かは不明だが、前方のベルとサイレンを鳴らし現場に駆けつけたのだろう。

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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