消えた九龍塞城と津々見友彦
ポルトガル領だったマカオで、グランプリ公道レースが始まったのは1954年。そのレース、1990年頃はスポンサーが三菱自動車と煙草のマールボロだから、期間中は街中がコーポレートカラーの紅白に染まる。私達に支給されるブルゾン […]
続きを読むポルトガル領だったマカオで、グランプリ公道レースが始まったのは1954年。そのレース、1990年頃はスポンサーが三菱自動車と煙草のマールボロだから、期間中は街中がコーポレートカラーの紅白に染まる。私達に支給されるブルゾン […]
続きを読む30年ほど前にアメリカ人ジャーナリストが「若者は成功して運転手付キャデラックのリムジンに乗るのが夢」と言った。別の話で「成功してロールス・ロイス(RR)を買うのが夢」だが、古いのが自慢?だという。 愛車RRの年式が裕福に […]
続きを読むチャールズ・リンドバーグは誰もが知っている飛行家だ。1020年頃から、大西洋横断初飛行に多額の賞金が掛けられるようになり、名だたる飛行家が先陣争いをしていた中で、無名の飛行家がパリに着陸したからだった。 リンドバーグは1 […]
続きを読むちなみに、フォルクスワーゲンはドイツの自動車メーカーの名だが、本来のドイツ語では、フォルクス=国民、ワーゲン=車で、国民車=大衆車だから、表題はトヨタの大衆車とゴ解釈願いたい。 さて戦後15年、敗戦国的貧乏経済も一段落し […]
続きを読むさて、第5回日本グランプリを制した日産はR381の進化型R382で次回参戦を表明する。が、FIAの規則変更でウイングが禁止になり、怪鳥R382もトヨタ7も、羽を失った形で仕上げられた。刀を取り上げられた武士のようだと笑わ […]
続きを読むさて、第3回日本GPに優勝するつもりもなく、トヨタ初の本格的スポーツカーを宣伝目的で出場させたが、思わぬヒョウタンから駒の結果は前話で紹介したが、トヨタ2000GTについてモ少し掘り下げてみよう。 片山豊の持論「儲からな […]
続きを読む必勝を期した第2回日本GPの為にプリンスは必勝のチーム結成をしたが、その総司令官が中川良一だった。結果は、ツーリングカー部門では、グロリアと新鋭スカイライン1500の圧勝となった。 だがGT部門では、グロリアもスカイライ […]
続きを読む日本のモータースポーツ熱の源流をたどれば、鈴鹿サーキット開催の第1回日本グランプリに行きつくはずだ。が、開催の前に各メーカーは「アマチュアの祭典だからメーカー関与せず」という紳士協定を結んだ。で、会社が出場車に手を加える […]
続きを読む自動車レースが盛んな欧州の1930年初頭は、ムッソリーニを後ろ盾のアルファロメオとフランスのブガッティが断トツに強かった。が、WWⅠ敗戦での巨額賠償金と経済不況にあえぐドイツを背景に、1933(昭和8)年ナチス党を率いる […]
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