「一時間六十哩自転車」って知っていますか

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「一時間六十哩自転車試運転:屡々記せる石油発動機自転車は今十九日午後一時東京ホテル前より乗り初め川岸より西方和田倉橋へ走らしめ坂下門前を廻り二重橋へ出で緩急各種の運転を行ひつゝ衆覧に供す」とは明治29年/1896年1月19日付中央新聞の記事。

要は現日比谷交差点に在った東京ホテルを出発→和田倉門左折→皇居前左折→二重橋→桜田門→霞ヶ関二丁目左折→日比谷公園を廻って東京ホテル着という大ニュース…これは十文字の有人知人関係者50~60名を招いてのデモ走行だったのだ。

[日本の道を初めて走った自動車]で自動車日本初走行は1898年、仏人テネブのパナールスバッソールと紹介したが、自動二輪が自動車なら、こちらが初だ。車はミュンヘンのH&W=ヒルデブランド&ウオルフミューラー。輸入は十文字商会。オーナーの十文字信介は代々仙台藩砲術指南の家柄で、後に衆議院議員という明治時代に知られた実業家だ。

H&Wは1894年特許申請で出資を得て会社設立。倒産するまでに、930台を出荷したと云われている。
そもそも自転車が漕がずに走れば、は誰もが思いつくことで、先ず小型蒸気機関を搭載した。例えば85年登場のフィラデルフィアのコープランドは、かなり売れたようだ。
そしてダイムラーとベンツの内燃機関が登場すると早速二輪にもと工夫する者が出て、初登場はフランスと聞いているが欠点も多く、量産販売に成功したのがドイツのH&Wのようだ。

H&W・背景に開発経営者の写真:発動機は足下に水平搭載・後輪に伸びるゴムベルトはピストン引戻し用/その上部燃料タンク/一見前照灯はフィルター付き外気吸入装置。右ハンドル下の長いレバーは前輪ブレーキ用。

H&Wにつき少し詳しく説明しよう。先ず誰もがやる自転車流用では弱いと強いフレームを開発し、自社開発の水冷並列二気筒4サイクル・1489cc発動機を搭載して完成した。
この発動機、日本の新聞は「3~5分予熱して押しがけし…」と在るように、ダイムラー型ホットチューブ点火方式…外部から気筒内に貫通した白金チューブをアルコールで赤熱させ気筒内点火する。
混合気は低回転低速ゆえに可能なサーフェイスキャブレター型…燃料タンク内で自然蒸発したガソリンを吸気という原始的な物。

さて走る仕掛けだが、並列二気筒から出たクランクシャフトは後輪に連結し直接駆動…が、フライホイールが無いので下死点からは伸びきったゴムベルトで上死点に引き戻すという見事なカラクリ。

今じゃ考えられない方式の最大欠点は、すごい振動だったと聞く。B90xS110㎜=745cc、大きなピストン一往復で車を2m前進させる燃焼エネルギーが直接後輪に伝達される衝撃は凄く、低速では車体が左右に振れ、乗員はサドル上で跳びはねる…で8km/h以下では操縦困難、しかし高速になるとまともに走るようで、デモでの走行は50km/h程だったようだ。

冒頭カタログ表示の60マイル=96㎞は実際に出たようで、燃費が三合/1マイルとある(1マイル=1.6㎞/一合=180cc)。

自動車という言葉は、1900年皇太子御成婚記念で日本上陸ウッズのAutomobileを宮内庁役人が自動と車翻訳したのが最初だから、H&W時代にはなく、表題のように60哩自転車、石油発動機自転車/毎日新聞と報知新聞、人乗り汽車/日本新聞など勝手な名前で呼ばれていた。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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