【車屋四六】WWⅡ戦後初のドイツ高級車ベンツ300

コラム・特集 車屋四六

ヤナセが輸入を始めた1953年頃のベンツは、一部戦前からの愛好者を除き知名度が無かった。当時日本人が憧れた外国車は、大きく派手なアメリカ製乗用車だった。

あの頃は、アメ車なら何でも高級だった日本だが、ステイタスさで圧倒的人気はキャデラック。大企業経営者・成金、誰もがキャデラックから、世界中のGM代理店中、一番キャデラックを売ったと、GMから表彰されたのもヤナセだった。

WWⅡ中のベンツは、ドイツ軍需産業の中心的存在だったから、二週間もの集中爆撃で各工場は壊滅的破壊を受け、終戦時に「ダイムラーベンツは解散」と役員が宣言したとも言われている。

が、生き残りの工員から役員までが一丸となり、瓦礫の山を片付け、使える機械を集めて修理再開、46年には戦前型170Vで生産を再開、その後ディーゼルの170Dも加えて、49年には1万7000台にと、着々と復興を続けた。

昭和30年代半ば、友人の170Dを借りたことがある。アイドルではグラグラと揺れるエンジン、うるさい独特なディーゼル音、踏みつけても100㎞まで1分近くかかるまどろっこしさも、1ℓで15㎞も走る低燃費ぶりに我慢せざるを得なかった。

話を戻して、51年のフランクフルト自動車ショーで、二台の高級車が注目を浴びた…BMW501とベンツ300である。
300は、高級車メーカーのベンツ復活を印象づけた名車となるのだが、同時に登場した170の兄貴分、220も人気を集めた。

300は全長4950㎜、全幅1838㎜。戦後新開発の直列六気筒OHC・2996cc・115馬力は、ヒトラーの愛車540Kの5.4ℓ・直列八気筒・115馬力と同出力なのだから飛躍的技術進歩で、1780kgの300を160㎞で巡航させることが出来た。

高級車らしい重厚な姿、インテリアはウッドと純毛で仕上げられ、シートもテレンプと呼ぶ純毛の素材で貼られていた。が、王侯貴族各国元首が使うフォードア・ランドーが、上質な革張りシートだったのは勿論のことである。

王様・元首御用達でパレード最適のベンツ300ランドウ

300は短期間乗ったことがあるが、運転席のレバーで後部車高が調節できるに感心した。後車軸に連結したレバーをモーターで巻き上げたり、下げたりで車高が変えられるのである。
後席やトランクの荷重変化に対し、常に車高が水平に保たれるので運転が楽、前照灯の上下照射角度も変わらないのが便利だった。

300シリーズ中の300Sというクーペは、高価なセレブ用ツーリングカーだった。日本で一台の持ち主はタイの将軍・政治家ピブン元首相で、革命で日本に亡命、日本で亡くなった。
その300Sクーペを買ったのが、松竹大船三羽烏と呼ばれた人気俳優高橋貞二だったが、59年飲酒運転で横浜市電に激突死去した。

セレブ御用達のベンツ300Sクーペ(カブリオレもある)。スポーティーカー顔負けの高性能車だった
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