日本の道を初めて走った自動車

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日本の道を初めて走った自動車は?という質問は誰もが興味を持つ話題だ。もちろん自動車を発明したのは日本ではないから、舶来自動車ということになる。

太平洋戦争が終わるまでは「明治33年/1900年をもって日本の自動車紀元とする」だった。それは皇太子/後の大正天皇の御成婚を祝し、サンフランシスコ在留日本人会が自動車を献上したからだ。

皇太子殿下御成婚記念にサンフランシスコ在留日本人が献上した米ウッズ電気自動車:どう見ても馬車の姿。ティラーハンドルでランプは蝋燭のようだ。

成功した移民達が何か献上したいと5300ドル余を集めて、何が適当かを相談した当時サンフランシスコ領事の陸奥宗光が「最新の米国特産品」と云ったとかで電気自動車に決まったようだ。

この時期、欧州では内燃機関だが、米国での主流は蒸気と電気だったから、電気自動車は妥当な決定だったと云える。

で、購入したのは高級車ウッズ・エレクトリックで、1900年8月22日、東洋汽船・亜米利加丸で横浜に到着したが、宮内庁に納められ組み立てると難題が持ち上がる…運転できる者が居ない。が、運転手を見つけ試運転を繰り返し、最後のブレーキテストの最中、紀の国坂の降りで呑気に見物する老婆を避けて、お濠に跳び込んだ。で、こんな危ないものに殿下を乗せるわけにはいかぬ、と移民達の好意は霧散してしまったのである。
これは日本での自動車事故の第一号ということになる。

が、日本が敗戦で皇室偏重の体制から解放されると、少数だがウッズ電気自動車以前に日本を走った先駆車の記録が出て来た。

明治30年、米国オリエント蒸気自動車が横浜上陸。
明治31年、仏人テネブがパナールルバッソールを東京に。
明治32年、大倉喜七郎パリ万博視察時ダチオン号購入帰国。
明治33年4月、米国ロコモビル蒸気自動車販売開始。
明治33年8月、ウッズ電気自動車横浜着。
と、こんなところが現在持ち合わせている情報。

明治初期に来日したフランス人ビゴーが書いた風刺漫画に「東京に初めて出現した自動車」というのが有る。登場するパナールルバッソールはやはり在日フランス人技師テネブの車で、築地で撮ったと云われる写真の紹介がある。テネブを囲む日本人達、さすがにチョンマゲは居ないが皆和服で羽織を着ているから、生活レベルが高い人達のようだ。欧州車らしくガソリン内燃機である

一方米国で主流の蒸気自動車ロコモビルの輸入元は横浜のアメリカン・トレーディング社で、購入第一号は在日米国人J.W.トンプソンだが、後に男爵芋で知られる川田龍吉男爵も購入。それが近年北海道の納屋で発見され、レストアされて北海道函館・男爵資料館に動態保存・展示されているそうだ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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