ジムニーLJ10誕生由縁

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浜名湖を挟み、織機メーカーでは世界一流に成長したトヨタとスズキ、自社の織機は頑丈自慢「いずれ世界に行き渡ると注文が無くなるから消耗品を造ろう」と将来を見据えた時、自動車が閃いた。
で、WWⅡ前の1930年代に、トヨタは大型自動車を、スズキも小型乗用車を完成したが戦争突入で市販は戦後になった。

スズキの自動車は先ず自転車+エンジンに始まり、オートバイ、そして1955年/昭和30年、日本初量産軽乗用車のスズライトでスタートが切られた。

紆余曲折をたどりながらも、スズキのその後の発展は御承知の通りだが、この会社ときどきユニークな発想で車を開発する。

高性能スポーツカー二座席フロンテクーペやピックアップ型RVスズキのマー坊(マイティボーイ)、税の盲点を突いたアルト、軽ハイトワゴン元祖ワゴンR、そしてジムニー…70年に登場したジムニーLJ10は、360ccで過酷な条件に耐えられるのかと、誰もが疑問を持った。

兵器として生まれたジープを出発点とする、この手の四輪駆動車は、どれも武骨頑丈大型で如何にもタフといった姿というのが常識だったからである。ベンツゲレンデワーゲン、ランドローバー、ランドクルーザー、サファリ等々。

さて60年代後半、スズキは好調な軽自動車のバリエーション展開を考えていた中に四輪駆動があった。そんなところに、軽メーカーのホープ自動車から「ホープスターON360」の工業所有権の売り込みがあった。

90才を過ぎても活躍中のカリスマ経営者・鈴木修が常務取締役の頃で「将来有望」との判断で1200万円で買い取り、開発を決意した…で、360ccを考慮し極力軽量化・部品は他機種との共通化を・車体は二次曲面で複雑な形を避ける、が至上命令だった。

完成した、LJ10四輪駆動車は、大径ラグタイヤ、副変速機を持つ本格的クロスカントリー型だが、大型四駆の小型化ではなく、独自に開発された四輪駆動車だった。

スズキ・ジムニーLJ10/1970年:全長2995×全幅1295×全高1670㎜・WB1930㎜・最低地上高235㎜・車重600kg・空冷2サイクル二気筒.359cc・25馬力/6000回転・4MT+副変速機

その性能は予想外に高く、大径16インチタイヤが隠れるほどの水深でも走行可、特に柔らかな路面、積雪中では軽量が幸いして大型クロカンより優れていることも判った。

それまでの四駆車の需要先は、工事関係など業務用が多かったが、小型安価なLJ10は新客層を開拓した。雪国での医者の往診、通勤、買い物、釣り狩猟などのスポーツ分野などだが、業務用では、各方面から良き反応を得たのである。

輸出も好調で、ドイツなどでは多分日本の林野庁に相当するのだろう公的機関が採用したという。林道などでの優れた能力と小回り特性が認められたのだろう。

登場から40年近く、現在四代目だが、全天候型キャビンで快適居住性、乗り心地を実現しながら、四駆性能は磨きが掛かり、優れた性能はレジャー、業務で活躍中しながら更に磨きが掛かることだろう。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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