三菱がミラージュで世界に挑戦

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1970年直前の頃、三菱は暗中模索の中に居た。当時の三菱はマイナー的存在で、そこから脱出する為の模索だった。それには大市場である、大衆車市場での成功が必要だったのだ。

当時三菱はギャランとミニカは売れていたが、大衆車市場に挑戦するランサーは、先行各社の壁に阻まれていた、それを打破するには、と目論んだのがFRからFFへの方向転換だった。

当時日本のFFは、ホンダとスバルくらいでFR全盛時代だが、欧州では主流になりつつある車をほぼ全車入手調査してから確立した目標は、世界最軽量FF車。世界トップ燃費…その目標は国内ばかりでなく海外にもという欲張り目標だった。

このように入念な準備の後、大衆車事業再構築というプロジェクトがスタートしたのが74年だった。当時斬新技術バランスシャフト搭載エンジンを搭載したΣが登場、その静粛さで好評を得た反面、第一線技術者がΣ開発に集中していたので、プロジェクトには若手技術者が集められた…その頃先輩格のスバルやホンダ、また新型VWゴルフ登場の刺激もあって、計画が最重要プロジェクトになったのは幸いだった。

多くの苦労を克服して、三菱のFF新大衆車がミラージュの名で誕生したのは78年だった。発表会で開発の親方来住南(キスナ)恵一は「世界の傾向は高級車から低価格車へと車格にあった姿をしているがミラージュは序列を越えて高級感を盛り込んだ」と語るのが印象的だった。

82年登場のミラージュ1400ターボ/TBは三菱製:全長3790×全幅1585×全高1350㎜・WB2300㎜/4ドア2380㎜・車重800kg・定員5名・四輪独立懸架・1.2ℓ、1.4ℓ、1.6ℓ。

次の驚きは、FFのメリットを最大限に生かした、広い室内だった。そして注目したのが、4×2スーパーシフト変速機…こいつは本格的四駆では常識だった副変速機を乗用車に取り込んだ機構だった。

四速型変速機を高低二段に切り替えることで、エコノミーレンジとハイパーパワーレンジに使い分けるという合理的アイディアで、車重の軽さ+エンジンの太い低速トルクとがあいまって、小さな減速比採用が可能になり、従来よりも二割方低回転の実現で、大いに燃費を稼ぎ、高速での騒音低下を実現した。

このようにして完成したミラージュは、先ず77年の東京モーターショーに展示され「ミステリアスな新小型車」として注目を浴び、78年新設されたカープラザ店で販売開始、幸いなことに評判もよく、大衆車市場の一角に三菱の橋頭堡を築くことに成功したのである。

約半年後に4ドアのミラージュ発表のとき来住南さんは「この室内の広さを見てほしい」と強調したように、とてもこのクラスとは思えぬ広さに感心したが、少々間延びした胴体がダックスフンドのようで私の好みではなかった。

しかし、ミラージュは傑作であることに間違いなく、欧州でも人気上々で、ドイツの調査では性能サービス信頼性でトップランクに評価されたこともあった。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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