インペリアル自動車博物館のハドソン・ミネルバ・デュポン

コラム・特集 車屋四六

ラスベガスのインペリアル自動車博物館紹介も5回目になり、今回は、ハドソンとミネルバ、そしてデュポンを紹介したい。

トップ写真のハドソンは1920年製で、19世紀から20世紀に掛けて活躍した歌手エンリコ・カルーソの愛車。1873年/明治6年ナポリ生まれのカルーソは、94年に歌手デビューしたが、世紀の大歌手らしく1951年に{歌劇王カルーソ}の名でハリウッド映画になったから御存知の方も多いだろう。

カルーソのジャンルは歌劇ばかりでなく、民謡、ポピュラーソングまでと広範囲で、生まれたばかりのレコードの録音も最多と云われるほどだから裕福で、写真のハドソンはコーチワークの一品もの。ちなみにこの車のベースがスーパーSIXなら、直六・4739cc・76馬力・七人乗りリムジンと云うことになる。

1909年創業時ハドソンは超高級ではなかったが、愛好者が多くフーバー大統領が1919年型を購入している。WWⅡ後は経営思わしくなく、54年ナッシュと合併、AMCになり、ブランドは57年型で終了した。日本の輸入元は赤坂の日本自動車だった。

ミネルバACデュアルカウルフェートン1926年製/ボディーはロールストンで架装。ミネルバはベルギー生まれの超高級車で、自転車などを作っていたベルギー人ドヨングが、1904年/明治37年に販売開始し39年に幕を引いた短命な会社だった。

1926年製ミネルバACデュアルカウル・フェートン:ロールスロイスより格上とも云われたベルギー生まれの超高級車/人気の640cc小型三輪車の利益を高級車造りに注いだと云われている

ドヨングはレースに執念を燃やして各地で優勝したから、今で云うスポーツカー、当時のロードスターやオープンに人気があったが、晩年は超高級リムジンも人気で、格式はロールスロイスを上回るという人も居るほど。各国コーチビルダーの名作は王侯貴族ばかりでなく、米国の富豪、そしてハリウッドでは大スターのシンボル的存在でもあった。ちなみにミネルバ=知恵の女神/ギリシャ神話。
写真は直六・5798cc・82馬力で、特徴は30年迄造り続けた静粛滑らかが売り物のスリーブバルブ方式である。

1930年製デュポン・コンバーティブルフェートン・モデルG:斬新なヘッドライトと同じ形の車巾灯にも注意

上の写真はデュポン・コンバーティブルクーペ1930年製。デュポンは資料が少なく詳細報告出来ないが、多分デュポン財閥の息が掛かっているようで高級だろうが、1920年から32年迄と短命だった。
リムジン、セダン、スポーツフェートンと多種類を出荷したようだが、このモデルGは3年半の間に273台作られたのみの高級車。ヘッドライト形状がとても斬新だ。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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