【車屋四六】プジョー・タイプ8

コラム・特集 車屋四六

かつてプジョーは、タクシーでも走っていたから50年代は知名度があったが、その後は輸入も細々で忘れられた存在だった。

が、90年代後半になると元気を取り戻し、97年の東京モーターショーには、人目を引く古典車が展示されていた。

その古典車が走る写真(右)がある。スーツに帽子で身を固めた紳士三人がレース中…1895年、世界初の本格的自動車レースはパリ∽ボルドー間1200㎞/出走22台。出場資格は四座席乗用車で、優勝車はプジョー8型だった。

実は前年にパリ→ルーアン128㎞の、二座席自動車レースがあり、優勝は蒸気自動車だったが、釜焚きが同乗との理由で失格する。
で、繰り上げ優勝がプジョー8型。

94年というと、日本は明治27年、日露戦争勃発。そして翌95年には、京都で日本初の市街電車が走った。

写真を見ると、昔の電車のようなバーハンドル、WWⅡまで日本でも使っていたゴムのラッパなどが見える。

姿かたちは、馬が居ない馬車そのもの。ホースレスキャレッジ=馬なし馬車とは、よく云ったものである。

当時のエンジンには点火栓がない…シリンダー内に突きだす白金チューブを外から赤熱させて燃焼させる、いわゆるホットチューブ型と呼ぶ点火方式だった。

東京モーターショーに出品のパリ・ボルドーレース優勝車

ちなみにプジョーの歴史は古く、創業1810年は安政七年で幕末。当初は冷間圧延鋼製造。
1818年に鋸など大工道具製造。40年コーヒーや胡椒を挽くミル。その後ミシンや洗濯機・アイロン・鉄砲など、総合鉄製商品メーカーとして成長する。更に82年自転車、そして90年にオートモビルプジョー社を設立。

最初の自動車はダイムラーエンジンだったが、98年にはドディオンブートン製になり、99年で自前エンジンの開発に成功する。

ということで、史上初の自動車レース優勝のプジョーは、ダイムラーエンジンを搭載していたことになる。

ちなみに02年に始めた二輪車製造が、現在のシクロモーターやスクーターに継続されているのである。

また、ミルや大工道具、そして自転車は、今でも、それぞれの分野で、ブランド品として高い知名度を持っている。