ミニロールスロイスの行方

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バブルが弾け、リーマンショック、東日本大震災と三度の危難に襲われた日本で、自動車メーカーや輸入車ディーラーもとばっちりを受けたが、ローバージャパンは比較的元気だった。
それは日本市場に合わせた商品開発と投入、円高即応の値下げと低金利など、ライバルより早め早めに手を打つ戦術が功を奏したのだ。が、その後、本家ローバー社の一族郎党は、インドや中国など世界に散ってしまった。

そもそもローバー社は、1904年に産声を上げ、伝統のイメージは{高級}の一語に尽きる老舗名門メーカーだったのである。
が、WWⅡ後の一時期、英国自動車業界の衰退に伴い、オースチン、モーリス、ウーズレイ、ライレイ、スタンダード、トライアンフなどの合併劇に飲み込まれて、グループの一員にはなるが、高級のイメージを守りながら、しぶとく生き抜いていた。

が、ローバーの高級イメージは、50年代、60年代迄で、端的に表現すれば、伝統のツラガマエが飾るラジェーターグリルを持つP5型あたりで終わりを告げたと思っている。
それまでのローバーは、人呼んで{ミニロールスロイス}が世界に通用する形容詞だった。

この表現は、クロスカントリー型のレンジローバーでも{砂漠のロールスロイス}と呼ばれて、本格的四輪駆動車の王者たることを示していた。

いずれにしても、乗用車のローバーから高級が失せたのはP6型あたりからと私は思っている。
私がローバーに出会ったのは1953年型ローバー65型で暫く愛用したが、当時経営していた日本橋茅場町の修理工場に、一クラス上級の70型に乗ってくる映画輸入会社・映配の宣伝部長野中重雄先輩が居たので、その頃のローバーには縁が深く愛着がある。

その後、モデルチェンジごとに、インテリアからは重厚感が失われていくのが悲しかった。もっとも私の好みからは外れたP6型も機構は斬新で、スケルトン構造のモノコックボディーにアウターパネル貼るというもの。こいつは頑丈な部材で骨を組み、それにアウターパネルを貼るという手法。マツダAZ-1なども同じ主法だったが、剛性が高く、修理が簡単というメリットがある構造だった。

この時代、英国自動車業界は低空飛行の真っ直中だったが、ローバーはホンダと提携することで、遅れた技術を取り戻し、そんな車に英国伝統臭いの味付けで、英国らしい車に仕上げていた。
例えばホンダ・レジェンドをベースに完成したローバー600は、レジェンドより高級感に溢れていた。

これでホンダとローバーの蜜月旅行が続けばめでたしめでたしだったが、ローバーはホンダに無断でBMWに身売りしたのである。
その後は、皆様御承知のように細切れになって世界に散っていった。もし、ホンダと仲良くしていたら、細切れにならずに済んだかもしれないと思うと、残念至極である。

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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