日産初のFFモデル初代チェリー 噂のX-1

コラム・特集 車屋四六

世界ではFWD/AWD=日本呼称FFの元祖は72年誕生のシビックと思われがちだが、一番乗りはスズキフロンテ55年、次がスバル1000の66年、ホンダN360が67年で、沢山の先輩が居る。

チェリーは日産初のFFという革新野心作だったが、世界では既にミニが有名だったからFF自体そんなに珍しくはなかった。
大御所トヨタは更に数年遅れるが、登場したチェリーに対し「トヨタはFF技術は未だ納得段階にない」とコメントしたが、先を越されての牽制という感じが無くもなかった。

チェリー登場の70年は昭和45年、戦前の儒教的道徳観念が失われる日本の大きな曲がり角だったと思う。例えばスカート丈が短くなり、それを見た男共は興奮する。それまで一人前の女が人前で、太ももを見せるなどタブーだったからだ。
憧れの青春スター南田洋子が波打ち際で、膝頭の少し上までスカートをたくし上げるポスターで、男共が映画館に殺到「腿の上の方まで見えた」と自慢話に花が咲いたこともある。

66年、サニーとカローラで幕が開いた大衆車時代が進み、年々車種が増え、チュリー誕生の70年の新顔は、ホンダ1300クーペ、ファミリアプレスト、カペラ、スバル1300G、ホンダZ、コルトギャランGTO、セリカ、カリーナ、フロンテ、フェローMAX、スプリンター、そしてサニー、コロナ、カローラなどだった。

日本はバブルに向かって走り出し、日産はチェリーで五番目の販売店系列、チェリー店を展開して前宣伝に力を入れ{噂のX-1この秋登場}と前広告宣伝…X-1はチェリーの開発コードだった。
そして300名のモニター募集には、14万人が応募という盛況で人気を盛り上げた。

サニーの下位モデルらしく、全長3610㎜とコンパクト仕上げだが、FFの効果はたいしたもので、長目のWBとフラットな床の相乗効果で、思いの外広いキャビンに感心したものである。

四気筒OHVエンジンの横置きが珍しく、1L・58馬力とSUキャブ二連装1.2L・80馬力があり、最高速度は、それぞれ140㎞と160㎞という速さにも感心したものである。

発売直後、モーター毎日の依頼で早速試乗…行き先は日光、その帰り道の今市で給油中の筆者/GP役員のブレザー着用

この時代、日本はマイカーブームに突入し、67年の日本の自動車保有台数は遂に1000万台の大台に。が、数が増えれば事故も増えるとあって、68年には運転席シートベルト義務化。69年東名高速全通、チェリー誕生の70年には、マイカー普及率が四所帯当たり一台にまで上がったのである。

多発する新顔、フルモデルチェンジ、どの車も、それぞれに個性があふれ、楽しい時代だった。

直ぐに追加されたチェリークーペ:当時としては飛びきり斬新なスタイルが人目を引いた

 

 

車屋四六:1960年頃よりモーターマガジン誌で執筆開始。若年時代は試乗記、近頃は昔の車や飛行機など古道具屋的支離滅裂記事の作者。車、飛行機、その他諸々古い写真と資料多数あり。趣味はゴルフと時計。<資格>元JAFスポーツ資格審査委員・公認審判員計時一級・A級ライセンス・自家用操縦士・小型船舶一級・潜水士等。著書「進駐軍時代と車たち」「懐かしの車アルバム」等々。

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