89年だったろうか、シドニー近くのマンリーという街の海岸を朝散歩していたら、変なシビックが停まっていたので写真を撮った。屋根に赤い電話の受話器。リアウインドーに”無料スピード配達”。オーストラリアにも、宅配ピザ屋みたいなのがあるのかと思った。
ユーモラスなシビックは、10年ほど前にモデルチェンジした二代目のシビックだったが、当時の日本でのシビックは四代目だから、もう二代目を見る機会は少なかった。
そもそも初代シビックが登場したのは、昭和47年=72年のこと。オートバイメーカーのホンダが、登録車市場に本格参入を果たした記念すべき四輪乗用車となった。
でも、いきなり四輪市場に参入したものではない。先ず軽自動車のホンダN360で成功してから、登録車市場を狙ったものである。
が、最初の作品はシビックではなく、ホンダ1300と呼ぶ、世界の水準を超えた画期的高性能車だった。当時、F1で活躍を始めたホンダの新鋭エンジンと同じ構造に専門家は注目した。
四気筒空冷エンジンをアルミの箱で包んで、空冷エンジンの欠点である騒音を封じ込めたのが特徴の一つ。そして1300㏄で100馬力は世界でも類のない高性能エンジンだった。
それが100馬力はシングルキャブレターで、三連キャブなら115馬力で最高速度が185km/h、世界も驚く高出力だった。本田社長は「水冷だって最後は空気で冷やす・ならば水を省けば構造簡単軽量化になる」と説明した。エンジンとアルミ箱の間にファンで空気を送る強制空冷型だった。
が、素晴らしいと褒めたのは、運転上手な連中だけで、平均的ドライバーには神経質で扱いにくい車だった。で、ディチューンして出力を下げたが、結局は成功しなかった。
この失敗を糧に反省したホンダの次の作品は、ごく平凡にまとめた乗用車、それがシビックだった。もっとも平凡と云っても、前輪駆動と2ドア・ハッチバックの組み合わせは日本では珍しかった。
車の原点に立ち返ったようなシビックは、途中、排気ガス規制などの試練を乗り越えながら、念願の四輪登録市場への参入を果たしたのである。
しっかりと構築された初代の開発コンセプトのせいだろう、実に7年近く市場で活躍して、二代目に席を譲った。二代目はスーパーシビックがニックネームだった。
もっとも二代目は初代のキープコンセプトで、内部は改良進化しているが、遠目には「何処が新しいの」と思えるほどの姿であった。初代の完成度に、よほどの自信があったのだろう。
一回り大きくなった二代目は、居住性向上、乗り心地も向上。初代の1500㏄エンジンは、排気ガス規制対策のCVCCで70馬力。が、年を追うごとに73馬力、75馬力と出力を回復していった。
二代目の頃には80馬力で、CXスポーティーバージョンでは85馬力だった。ちなみに二代目登場の79年頃、シビックの値段は廉価版が72,5万円で、最高価格が93.5万円だった。
7年間も市場で持ちこたえる実力の初代も、二代目スーパーシビックから、三代目ワンダーシビックにバトンタッチする頃には、日本車市場の常識通り4年毎のフルモデルチェンジになっていた。
スーパーシビックの完成度は、もう世界に通用するもので、世界各国に輸出されていったから、オーストラリアの海岸で見つけたシビックも、そんな車だったのだろう。