55年=昭和30年に、コロナが登場した頃の日本では「これは大衆車」と云ったところで、サラリーマンの懐は買えるほど豊ではなかった。言うなれば”絵に書いた餅”である。
日本経済の成長につれ所得が増え、昭和41年にカローラが登場した頃になると、マイカーの夢は夢でなくなった。昭和30年代の日本モータリゼーションの進歩は亀の歩み似ていたが、41年に入るとウサギのようにスピードアップし、急展開が始まる。
30年代の自動車は仕事用だった。クラウンは会社の偉い人が仕事に使い、コロナは中小企業の、という具合だ。とにかく人を乗せて、目的地に運ぶ道具でしかなかった。
が、昭和40年代に入ると、ファミリードライブやデートなど、車を遊びや楽しみに使う楽しさが始まった。
カローラ誕生からほぼ5年が経つと、今度は仕事には使わないで遊び専用、楽しみ専用という乗用車が誕生するのだから、当時の進歩の度合いは急激。それが”スペシャリティーカー”の登場だ。
伝統的にマーケットリサーチの解析が確かで、時代の先取りが上手なトヨタは、69年の東京モーターショーにEX-1と命名のドリームカーを展示した。後に市販されるセリカだった。
当時の日本は、レイモンド・ロウイーのデザインで話題になった両切りピース一箱10本入りが50円の頃。で、カローラ誕生の66年頃のガソリン価格は1リットル50円。70年には55円、さらには5年ほどで100円を超えるというすさまじさだった。
さて、市販されたセリカは、四種類のエンジンをチョイスできるほど力が入った新型車だった。
T型1400㏄/86馬力/最高速度165㎞。2T型1600㏄/100馬力/170㎞(トヨグライドAT車160㎞)。B型/105馬力/180㎞。2T-G型1600㏄/115馬力/190㎞が真打ち的存在の1600GTに搭載されていた。
スタイリングは、登場時はノッチバッククーペ。73年に追加されたプレーンバック型の姿は、日本人憧れのアメリカンスポーツカーのフォード・ムスタングにそっくりなのも人目を引いた。(当時の日本ではマスタングではない)
その値段は、57万円~87万円(1600GT)。変速機は四速&五速。三速トヨグライドAT。四種類のエンジンにハッチバックとプレーンバック。それは客は好みで組み合わせ注文すれば、オンラインで工場に発注、生産されるという新システムだった。「日本初フルチョイス・システム」の登場と自慢した。
72年には、2T-G型DOHC/115馬力搭載の1600GTV(87万円)を追加、18R-G・DOHC/145馬力搭載のLB2000GT(112.5万円)なども選べるようになる。
メカも斬新で、当時としては嬉しいディスクブレーキをフロントに装備、革巻きステアリングハンドルは衝撃吸収式、五速のフロアシフトはスポーツ心をくすぐる小道具だった。
新ブランドのセリカが市場に投入された70年は、新車の当たり年で、合計15車種が登場している。登場順に並べてみよう。サニー、コロナ、ホンダ1300クーペ、ファミリアプレスト、ダイハツフェローMAX、カローラKE20、スプリンターKE25、カペラ、スバルff-1・1300G、チェリー、ホンダZ、フロンテ360、コルトギャランGTO、カリーナ。