自動車競争というものは、遅すぎると手持ちぶさたでイライラするが、速すぎれば闇雲に興奮するだけで親しみが無くなる。鈴鹿の第一回GP、当時は車が遅かったとはいえ、スバル360やスズキフロンテの走りは、何か間が抜けていたが、近頃のF1のように目の前を一瞬にして過ぎ去っていく速さも味気ないものである。
が、自動車も飛行機も、誰より速くをモットーに発展してきた。1906年にルマンにサーキットが出来て開催された第一回グランプリ優賞のルノーの平均速度は100.8km/hだった。
第二回の優賞はフィアット、第三回はメルセデスだが、平均速度は110km/hほどに速くなっていた。この時代の速度向上は「馬力を上げろ」てなもので、それは気筒容積拡大競争でもあった。
が、年々大きくなるエンジンに反省も出始めた。例えば、レースの常勝車パナール・ルバッソールは、第一回グランプリの頃は18Lだった。が、大きくするばかりが能ではないと反省したのか「より小さく・そして軽量に」というコンセプトを実行する。
それで1907年には15.5Lにダウン。1908年更に12.8Lへと小型になるが、速度の方は155km/hと他車に対して引けを取るものではなかった。
ということは、エンジンの製造技術が進むのと並行して、燃料を燃やす技術も向上して、結果、燃焼効率が向上、エンジンを小さくしても馬力は落ちないという、技術領域にたどり着いたのが、この時代だったと云えよう。
一方で、1908年頃のメルセデスのグランプリカーは、21.5L・4気筒200馬力/1600回転という大排気量で、1909年に時速200キロという世界記録を樹立した。
当時の競争自動車で、時代の最先端はフランス車かドイツ車、それにイタリー車で、イギリスやアメリカはまだ出遅れていた。例えば、ボクスホールは3Lで160km/h程度、第一回インディー500の優賞車マーモンの平均時速は119km/hだった。
が、1910年頃になると、米英の競争自動車も対抗できるレベルに成長する。で、スピード記録挑戦に、しばしばイギリスのブルックランズが登場するようになる。
2008年の9月秋にブルックランズを訪ねたが、コースはダイムラーベンツ専用になったようで、数台のメルセデスがコースを走り回っていた。市販車だったから、改良か耐久テストなどのようだった。というのも、表の道路から丸見え状態だったからだ。
1910年代、世界各国のメーカーは、ブルックランズでの記録挑戦用に車を開発した。その一例で、フィアットのレコードブレーカーS76型のOHVエンジンは、300馬力/1900回転を得るために、実に2万8353㏄というモンスターエンジンを搭載した。(第55回参照)
で、ブルックランズでの記録は198.4km/hだったが、再度ベルギーでの記録挑戦で、219.2km/hを記録して目的を達成した。が、無闇な大排気量時代もここら辺りまでで、効率向上と小型化の時代が到来する。
が、自動車エンジンが小型化時代に入っても、まだデカイ発動機にうつつを抜かしている業界があった。航空業界である。20世紀初頭、どうやっても自動車より遅かった飛行機も、自動車と同じように競争が始まると、気筒容積が拡大し、馬力も上がって、速度も上昇していった。
その第一回の頂点が第一次世界大戦。航空戦ではスピードが勝敗を決し、ということは敗者には死が待っているのだから、敵よりも速い必要があるのである。
そしてWWIが終わると、勝つための開発エネルギーは、戦争からレースに方向転換する。自動車より遅かった飛行機は、直ぐに自動車を追い越して、鰻登りで速さを増していった。その様子を以下にまとめてみた。
1906年 41km/h、サントスデュモン(機体名)、アントアネット(発動機名)50馬力/星型7気筒
1910年 106km/h、ブレリオ、グノーム100馬力/星9
1912年 161km/h、ドペルデュサン、グノーム140馬力/星9
1913年 203km/h、ドペルデュサン、グノーム160馬力/星9
1920年 302km/h、ニューポール、イスパノスィーザ300馬力/V8
1922年 358km/h、カーチス、カーチスD12/400馬力/V12
1923年 417km/h、カーチス、カーチスD12A/500馬力/V12
1928年 512km/h、マッキMC52、フィアット1000馬力/V12
1929年 541km/h、スーパーマリンS6、ロールスロイス1900馬力/V12
1931年 655km/h、スーパーマリンS6B、ロールスロイス2600馬力/V12
1934年 709km/h、マッキMC72、フィアット2600馬力/V24
1939年 755km/h、メッサーシュミットMe109R、1175馬力/V12
上記の機体で、通常仕様はドペルデュサン140馬力までで、ドペルデュサン160馬力からは速度記録用に開発されたもの。ニューポール以下は、いわばレーシングマシーンのようなモンスターばかりであった。また、カーチス以降マッキまでは、シュナイダー杯用機体で、記録挑戦したものである。
表で判るように、速度を上げるには馬力が必要だが、常識が通用するのは300km/h程までで、それ以上は飛躍的な馬力アップが必要になる。昔、私が飛行機の操縦を始めた頃に、ゼロ戦を開発した堀越二郎さんが「同じ飛行機で速度を二倍にするにはエンジン出力が四倍必要」と云っていた。
フィアットのV24などは、当時の技術では既に限界で、既存のV12を縦に連結して50.26L・重量932㎏。スーパーチャージャーで3100hp/3200rpm。で、この702km/hという記録は、ピストンエンジン水上機の世界記録として現在でも残っている。
メッサーシュミットで急激な馬力低下が見られるが、こいつはフラップの発明で軽量な陸上機になったから。が、記録樹立は国威高揚の策略で、姿は109戦闘機だが、特別製のプロトタイプだった。
で、ヒトラーの目論見は的中して、WWIIの初戦、敵軍パイロットの頭に“世界一早い戦闘機”として刷り込まれ、怖れられた。が、1935年登場頃の速度は470km/h。世界記録755km/h樹立の1939年当時でも、550km/h台ほどだった。