【車屋四六】アメリカで二度目のRR車

コラム・特集 車屋四六

今でこそFWD(前輪駆動)も存在するアメリカだが、古来FR(前発動機・後輪駆動)の国。が、何処にもヘソ曲がりが居るもので、RR(後発動機・後輪駆動)を開発したこともある。

戦前はともかく、WWⅡ以後での最初はデトロイトの陰謀で潰されたタッカー。二度目は何を血迷ったのか世界一のGMからのコルベアである。

コルベアのお披露目は59年で、60年から発売されたが、アメリカ製RRとあって世界が注目、物珍しさもあったのか、モータートレンド誌主催のカー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。(写真トップGM製コルベア。当時はラジェーターグリルの無い姿が斬新なのか、異様なのか、人さまざまに受け取った)

50年代のアメリカは、まだフルサイズが常識だったが、大衆車フォードやシボレーまでが大きくなりすぎたのを反省したのだろう、アメリカ製小型車が出始めていた。

アメリカ製小型車と云えばクロスレイだが、こいつは不運にも淘汰の波に飲み込まれたが、50年代に登場したナッシュ・ランブラーに始まる小型車の人気が徐々にたかまり、ビッグスリーも手をこまねいては居られなくなったのである。

コルベアが生まれた頃のライバルは、フォード・ファルコン、プリムス・バリアント。アメリカ人がコルベアを「ヨーロッパの臭いがする」と云ったのは、飾りのない姿とRRが原因だったようだ。

RRはVWビートルで誰もが知っていたが、ビッグスリー筆頭の作品となれば驚くのも当然。しかもエンジンがVWと同じ六気筒で空冷水平対向とくればなおさらである。このフラットシックスOHVは、ボア84xストローク64㎜というショートストロークで、RRのテイルヘビーを嫌ってアルミで軽量化を図っている。

アルミ合金製空冷水平対向エンジン:中央のエアクリーナから両端のキャブレターへ。後部からの騒音が気になった

136.9キュウビック吋というから2233cc、圧縮比8、ロチェスター型キャブレター二連装で80hp/4400rpm。80馬力は非力の感もあるが、車重830kgという軽量仕上げで、当時の日本製より十分の加速感を持っていた。

が、64年になると気筒容積を拡大して95馬力に。もっとも62年登場のスポーツモデル、モンツァスパイダーは、ターボの威力で150馬力。一度乗ったことがあるが、じゃじゃ馬だった。攻め込みすぎのコーナーで気を抜くと、即テイルを外に振りだした。

もちろんノーマル80馬力でも、当然RRらしい傾向があり、乱暴運転時には丁寧なハンドリングとアクセルワークを心がける必要があった。が、上手に乗りこなす連中を見ると、VWから乗り換えた人たちが多かった。

日本では小型とは云えないが、アメリカでは小型車。RRの特質を生かしたキャビンはゆとりがあり、コイルスプリングの四輪独立懸架が柔らかな乗り心地を生んでいたが、空冷エンジンの後部からの音がうるさいという苦情もあった。

コルベアは69年まで生産された。が、コルベアを世界的に有名にしたのは、弁護士ラルフ・ネイダー。著書でベストセラーの“危険なアメリカ車”でコルベアを槍玉にあげて叩いたからである。

その結果、年産20万台という人気車種のコルベアは、年々売り上げ下降、最後の年69年は、ハードトップ2717台、コンバーチブル521台。で、市場撤退を余儀なくさせられたのである。

コルベアの典型的アメ車風インパネ:中央ラジオの上部に時計、方向器兼用のホーンリングが懐かしい

60年代を謳歌したビートルズと、時を同じくして登場したコルベアだったが、惜しまれながら解散のビートルズと、寂しく去ったコルベアの幕切れは対照的だった。

コルベア発売開始の60年=昭和35年の日本で登場した乗用車は、“だるま”が愛称のトヨペットコロナ、セドリック、三菱500、マツダR360クーペ、スバル450。日本の乗用車造りが、ようやく一人前に近づいた頃。小型車の上限が1.5ℓから2ℓに引き上げられ、二輪車生産が世界一に到達した年でもあった。