【車屋四六】日本初のグランプリ-1、クラウンとベレルが戦ったの知ってる?

コラム・特集 車屋四六

日本初のグランプリレースとあって、二日間で鈴鹿に観客が20万人。何しろ全てが初めて。走る人達は、腕自慢の街乗りドライバーや舶来スポーツカーを持つ金満家達だった。

そして、家から鈴鹿に走ってきた車でレースが終われば、そのまま家路につくという、ナンバー付き自家用車も多かった。

法人から裕福オーナーもとPRを始めた頃のクラウン

ちなみに、自工会メンバーの事前協議で「レースはアマチュアのものメーカー参加せず」の紳士協定があった。
が、それは建前で、水面下で密かに作戦を練り、車造りをしたメーカーもあった。その協定をクソ真面目に守り惨敗したプリンスの話は後の世の語り草。本気出したらプリンスは最強だったはず。

日産は協定守りじゃなく、初参加のサファリラリーに全力投球で無関心。水面下で全種目制覇を狙ったがトヨタで、クラウン、コロナ、パブリカを三台ずつレース用に仕上げていた。
水面下組にはスズキ、そして販売店主導のいすゞもいた。軽自動車の雄スバルは、自信過剰で市販車のままで惨敗する。

トヨタの出場全種目制覇は成功するが、クラウンのクラスで優勝を脅かしたのは、いすゞベレル。今回はその話しである。
当日クラウンの操縦は、多賀弘明、鈴木幸夫、川島勇一。多賀は、早大自動車部、JAFスポーツ委員という経歴で、のちにTMSC(トヨタ)会長になる人物。(GP優勝の実績か)

一方のり気でない会社のケツを叩いた販売店やまと自動車の竹田部長ひきいる、いすゞチームのベレルには、米国でレース経験を持つスイッシャー/米空軍中佐とニコルズ、尾崎正治の三名・三台。
そんな国産勢に割って入ったのが、ドイツ製フォード・ターナスを駆る吉田隆郎で、健闘よろしく三位入賞を果たした。

ツーリングカー1600~2000ccクラス、20周120,08㎞。スタートは①予選ラップタイム3分18秒2のクラウン多賀②3分18秒9ベレルのスイッシャー③3分21秒1のニコルズの順。

スタート直後の順位は、多賀、ニコルズ、生沢/スカイライン、吉田、川島、スイッシャーと並び、第一コーナーに飛び込んでいった。
一周の終わり、最終コーナーから顔を出したのは、多賀、ニコルズ、吉田、スイッシャー…団子状のこの一団は実力伯仲という感じだったが、それが崩れたのが第五周目だった。

第一コーナーでニコルズがダートに膨らんだ隙を突いてスイッシャーが二位に、次のヘアピンカーブで吉田がニコルズを抜いて三位にあがり、以後、その順位は均衡してゴールに跳び込んだ。

熾烈なバトルが終わった結果は、優勝クラウン多賀/タイム67分00秒2/平均速度107.531㎞、二位ベレル・スイッシャー/67分04秒7/107.411㎞、三位ターナス17MTS吉田/67分34秒4/106.624㎞だった。

惜しくもクラウンに負けたベレル

私と優勝者多賀とは、その後レース役員として、JAFスポーツ委員として、しょっちゅう顔を合わせ、ゴルフもやった。
20年ほども前だろうか「あのクラウン、ロールしない姿は安定感抜群だった」と云ったら「もう時効だろう…スプリングをファンベルトでがんじがらめにしたんだよ」と。