【車屋四六】日本初グランプリ、コロナとボクスホールの対決

コラム・特集 車屋四六

昔日本市場でナンバー1は日産で、それを追うトヨタが打倒ダットサンを目標に開発したのがコロナだが、初代はダットサンの敵ではなく、二代目もブルーバードに惨敗した。

そのコロナのウイークポイント、弱いという評判は、悪路で酷使するタクシー業界の評価が根源だった。で、トヨタは、崖から空に飛び出すCMを流したり、世界一周に挑戦したり、と悪評退治に挑戦したが、悪評改善に繋がらなかった。

弱いコロナの評判改善で世界一周中にメキシコの警官と/右に懐かしのハーレイダビッドソン

そんな負け犬コロナが快挙をやってのけたのが第一回日本GP。1300から1600ツーリングクラスで、コロナの相手は、いすゞヒルマン、英GMのボクスホールだった。

5月3日、決勝15周/90.06㎞。出場車はコロナ6台、ヒルマン8台、ボクスホール1台。ポールポジションはボクスホール酒井壯一で、コロナの筆頭は式場荘吉、ヒルマンが朝岡重輝だったと記憶する。
朝岡は、後にいすゞファクトリーチームの一員として、輝かしい戦績を残すことになる。

コロナ軍団は、個人参加という形ではあったが、入念に仕上げた車を見れば実質ファクトリー体勢。クラウンで紹介したように、トヨタもいすゞも事前の紳士協定は何処えやら、水面下で万全の準備を整えていたのである。

スタート→コロナ松本正義→ボクスホール→ヒルマン朝岡&滝口の4台が団子状で第一コーナーに跳び込んだ。優勝候補の式場のコロナはスタートミスで5番手に後退していた。

1周目の最終コーナーに最初に顔を出したのはボクスホールで、二番手松本→朝岡→式場→滝口の順。それからグランドスタンド前の下り勾配から第一コーナーまでの一直線で、最高速度に格差はなかった。

やがて15周の戦いが終わり、トップでゴールしたのはコロナ式場→ボクスホール酒井→コロナ立石宣→ヒルマン荒尾正和→朝岡→滝口だが、レース後にどんでん返しが。
14周目のグランドスタンド前、二位ボクスホールに立石が追い越しをかけた時、右に左に走路を振って抜かせなかった。それを15周目でも繰り返したことで、失格したからだ。

結果、コロナ、1・2・3位独占入賞。トヨタは目的を果たしたが、直線での速度は、コロナもヒルマンも同等だったが、優劣の差はコーナリングで付いたのである。

ヒルマン・ミンクス:英ルーツ社のライセンス生産車(駒場博物館蔵/非公開)

エンジンのチューニングでは同等レベルだったのに、サスペンションのチューニングで差を付けたのである。
ヒルマンが、コーナー直前のブレーキングでノーズダイブ+後輪ロック、そして大きくロールするのに、コロナはノーズダイブ、ローリング、すべて低く押さえ込まれていたのである。

が、日本最初のGPレースで上位独占という快挙も、市場に与えた影響は少なく、ブルーバード打倒には結びつかなかった。その念願は三代目コロナの手に託されることになる。