【車屋四六】アンテナ発達史
WWⅡが終わったころの日本は、満足な車が作れない自動車後進国だった。そんな日本が、どうやら満足な自動車を造れるようになったのが、65年/昭30年のころである。 国産化したルノー・ヒルマン・オースチン。純国産のクラウン、ダ […]
続きを読むWWⅡが終わったころの日本は、満足な車が作れない自動車後進国だった。そんな日本が、どうやら満足な自動車を造れるようになったのが、65年/昭30年のころである。 国産化したルノー・ヒルマン・オースチン。純国産のクラウン、ダ […]
続きを読む自動車の前照灯=ヘッドライト(英国ヘッドランプ)は、LEDやディスチャージランプなど、近頃ベラボーに明るくなった。 それ以前、12ボルト時代、いや6ボルトの時代でも、初めて見たシールドビームは、明るさにビックリしたもので […]
続きを読むWWⅡ中ガソリンは統制物資で、民間の乗用車・トラック・バス、みな木炭車に改造された。もう木炭車と云う言葉は死語になった。 木炭車を日本の知恵が生んだ大発明と云う人がいるが、WWⅠが終わった20年代、自動車の動力源の一つと […]
続きを読む自動車にガソリンを入れようと給油所に行けば、天井から下がったホース、地面に立ったタワーのホースの蛇口から給油する。 今時の若者達は皆そう思っているようだが、WWⅡ以前と直後の自動車の数が少なかった頃は、そんな大げさな設備 […]
続きを読む世界では第二次世界大戦だが、太平洋が戦場の日本では太平洋戦争で、戦争中は大東亜戦争と呼んでいた。 緒戦連勝の日本軍は、42年/昭和17年頃までは元気で、1月2日マニラ陥落、19日香港占領、31日シンガポール占領、3月8日 […]
続きを読むTTSクーペはアウディのコンパクトスポーツカー、TTクーペ/ロードスターの高性能バージョン。直列4気筒2・0㍑TFSIエンジンは、ターボのチューニングで最高出力を286PSへ、最大トルクを380Nmへと向上。マトリクスL […]
続きを読む二〇世紀初頭に実用化された飛行機は、ドーバー海峡を何時?誰が?横断するか、が当時大きな話題で、初横断飛行に2万5000フランの賞金をデイリーメイル社がかけた。 1912年、その賞金を頂戴したのは、フランス人ルイ・ブレリオ […]
続きを読むWWⅡ後、最盛期のヤナセは、GMの全車種を任された代理店だった。中でもビュイックはヤナセ発展の屋台骨で、25年/大正14年の広告は梁瀬自動車(株)だが、当時は{ビウイク號}が日本語表記。そう、ヤナセはビュイックの販売が出 […]
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