【車屋四六】水陸両用型ジープ

コラム・特集 車屋四六

世界では第二次世界大戦だが、太平洋が戦場の日本では太平洋戦争で、戦争中は大東亜戦争と呼んでいた。
緒戦連勝の日本軍は、42年/昭和17年頃までは元気で、1月2日マニラ陥落、19日香港占領、31日シンガポール占領、3月8日ラングーン占領、連日のニュースに日本中が「万歳々々」だった。

5月{ミドウエイ海戦大勝利}のニュース辺りが嘘報道の始まりだが、一方アメリカは、直前の4月まで負けムードに沈んでいた。
で、国民の士気高揚を狙った作戦が、ノースアメリカンB25双発爆撃機による、空母からの日本空襲だった。

狙いは成功してアメリカ国民は喜んだが、やられた日本も奮起した。9月、イ号潜水艦搭載の零式艦上偵察機で米本土空襲敢行。
というと勇ましいが、オレゴンの山林に焼夷弾投下で山火事を。
もっとも、これが日本軍による最初で最後の米本土空襲だった。

そんな42年、ワシントンに26カ国代表が集まって連合軍が結成されて、日独に対する猛反撃が始まった。
写真の変な車はそんな42年に登場した。

フォードGPA DUCK 1/4トン 4×4トラックが正規名称だが、云うなれば、水陸両用ジープということになる。
戦中のフォードはジープの大量生産会社だから、たぶん共通部品もかなりあったことだろう。最高速度はジープと同じ100km/h。燃費6.7km/ℓだが、水上では9km/h、燃費は730mと表示されていた。

米軍ジープはドイツ軍用車の後追いだから、この水陸両用ジープも、VWシュビンムワーゲンがヒントだったのだろう。
米国自動車産業は42年で乗用車生産を中止して兵器生産一辺倒になる。で、各社の戦意高揚ポスターを何度か紹介したが、今回のフォードのポスターは、何時もと違っている。

戦中のフォードは軍用車ばかりでなく、爆撃機、戦車、大砲、機関銃、もちろん航空発動機など多種多彩な兵器造りだったから、会社の宣伝は直接戦意を敵にぶつけるものが多かったが、こいつは、ほのぼのムードである。
{みんなで頑張り抜けば明るい戦後が待っている}と、家族の元に戦場から帰った兵隊が、バスケットを持ってピクニックという図柄である。平和な母国で軍服というのは少々おかしいが。

一方、開戦から二年目の日本では、神国日本大好きな連中の団体、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)が、国民の決意を表す標語の募集をした。
応募多数の中から選ばれた一等賞は{欲しがりません勝つまでは}。

嘘ニュースに踊らされた大人達の「勝った!勝った!」は景気が良かったが、子供達は何時も腹が減っていて、振り返ってみれば、暗いじめじめとした世の中だった。

映画だって、日本のは戦意高揚的プロパガンダばかりだったが、42年のアメリカでは、フレッド・アステア主演の{スイングホテル}という映画封切られ、その主題歌が世界最大のヒット曲になる。

アービング・バーリン作曲のジャズソングは、いまでは世界の愛唱歌。あれから72年後の今でも、毎年クリスマスになれば聞こえてくる{ホワイトクリスマス}である。

戦中のポスター/ピクニック