WWⅡ直後、近未来的姿で誕生するや、たちまち人気者になったジャガーXK120の後継モデルが、これから紹介するXK140である。
九州自動車博物館の写真(上)には、XK140/1953とあるが、140の製造は56~57年だから誤り。もっとも写真は90年代だから、既に訂正されているだろう。太めのグリルやバンパー、両フェンダーの車巾灯形状など、まさにXK140である。
戦争中は世界中の自動車会社同様、ジャガー社もビッカース・ウエリントン爆撃機製造を担当したが、並行して戦前に一世風靡のS100の後継モデルの開発もしていた。
先ず開発の中心はエンジンで、開発計画名をXと呼んだ。
XAで始まる開発に目処が付いたのがXF・四気筒DOHC1360cc。それからXG六気筒OHC1776cc→XJで四気筒DOHCに。
やがてXJが煮詰められて完成したのが、XK120・六気筒DOHC3442cc・160馬力/5000回転だった。そして、近未来的ボディーを載せて完成した。
XK120の初舞台はロサンゼルス。そこで一号車を注文したがクラーク・ゲイブル。名画{風と共に去りぬ}主演の大物だから、たちまちハリウッドにジャガーブームが到来する。
PRの名手、ライオンズ社長の目論見通りになったようだ。
そのころの英国はWWⅡの後遺症で、経済復興にドル稼ぎが優先だったから、米国市場で稼ぎまくるジャガーは優等生の筆頭。
で、ライオンズ社長は{サー}の称号を得る。その主人公XK120は、XK140/190馬力に進化する。
ちなみにSS100→XK120→140の数字は、最高速度マイルを表す。
XK140の基本は二座席ロードスターだが、クーペとドロップヘッドに2+2が追加され、更にボルグワーナー製AT車も追加する。
どれもアメリカ市場のニーズに応えたものと思われる。で、最終的にアメリカ市場向けは、大部分がATになったそうだ。
XKシリーズは、レースでも活躍するが、本格的なレーシングカー仕立てにしたXK140/150馬力は、55,56,57年と連続でルマン24時間レースを制覇した。
日本では、第一回日本GPに出場している。
140は、57年にXK150に進化し、ロードゴーイング・レーサーXK-SSを完成するが、出荷寸前に、コベントリー工場が火災。
燃えさかる工場から必死の従業員の手で16台が押し出された。
もし博物館で、見る機会があれば、それは火災の中から救出された貴重な一台である。