【車屋四六】戦闘機の次は軽自動車という変身ぶり

コラム・特集 車屋四六

WWⅡ直前、世界中の新鋭戦闘機が時速600㎞で苦労をしていた頃、独逸の時速750㎞に世界が驚き恐れを抱いた。その名はメッサーシュミットMe109。が、戦後に750㎞はガセネタと判る。パリダカなどのラリー車と同様、姿は市販車と同じでも中身はまるで違うプロトタイプだったのだ。

多くの名機を生みだしたメッサーシュミット社も敗戦ではお手上げ。で、始めたのが軽自動車開発。こいつはWWⅠ敗戦後のBMWや、我がスバルと同様である。(写真トップ:本来KRは後一輪の三輪車だが四輪型TG500/タイガー:494㏄19.5ps/5000rpm、4MT、Wt350kg、130km/h。数百台生産の稀少車)

755.11km/h:脅威的高速戦闘機メッサーシュミットMe109のプロパガンダポスター。手前は日本でもライセンス生産したダイムラーベンツDB601型エンジン

 

メッサーシュミットKR-175カビネンロッラーの誕生は53年。カビネンロッラーとは英語でキャビンスクーター。独特なタンデム二座席型の発想は飛行機屋ならではのものである。

人間とは生来我慢が嫌い「敗戦国だから軽自動車で良い」と云っていたのが車を持ってみると「モ少し加速をモ少し速く」でパワーアップ型KR200が登場する。(写真右:後席二人掛けのメッサーシュミット・カビネンロッラーKR200)

もっともKR175だって軽仲間では俊足で、よく比較対照されるBMWイセッタなど足下にも寄せ付けす、巡航100㎞で、アウトバーンではVWビートルがライバルという代物(しろもの)。

KR200の誕生は55年というから昭和30年。同時に登場のKR201は幌型スポーティーバージョンだった。ザックス製175㏄エンジンは191㏄になり、9.7ps/5000rpm。4MTのコンビで時速112㎞にアップする。 メッサーシュミットの駆動方式は、リアエンジン・リアドライブだが、BMWイセッタのようなシャフトドライブではなく、チェーンドライブはオイルバス型で騒音低下をはかっている。

ホイールベースはKR175以来変わらないが、KR200では920㎜から1080㎜のトレッド拡大で生まれたゆとりを生かして、後席に子供分をプラスして、家族三人旅行が楽しめるようになる。

KR200の112km/hは、当時としては1200~1500㏄クラスの性能と同等で、例えば性能向上したVWビートル1300にも匹敵する実力なのである。

上からの写真だと一見丸いステアリングホイールに見えるが、こいつは富士キャビンと同じような飛行機のが下向きになったような一種のバーハンドルで、かなり反応がクイックで慣れが必要だった。

メッサーシュミットは評判も良く、合わせて4万台余も売れたのに、58年頃には生産を止めてしまった。惜しまれるが、自動車業界でステップアップを狙わなかったのは、戦後の混乱が落ち着き、本業で食えるようになったからだと思われる。

素晴らしいアイディアが消えてしまったのが惜しまれるが、もし今の技術で再現して「交差点で倒れず雨にも濡れないキャビンスクーター」のCMで売り出せば、結構売れるのではなかろうか。

操安性は良かったから、流行のEV(電気自動車)でもよかろう、またプラグインEVなら更に良し。高性能電池で高速道路が使える長距離仕立てなら更に良しである。

昭和30年代の銀座並木通り七丁目辺りにKR175がよく駐まっていた。路上駐車OKの頃。少々高いが洒落たシャツなどが買える”チロル”という店の主人、通称ボコさんが、自由が丘の自宅から通ってくる足だった。